それはさておき「木霊の辻」を過ぎてから間もなくのことだった。私は突然あっと叫んで立ちすくんでしまった。
「ど、どうしたんですか。な、何かありましたか」
金田一耕助が、あわててうしろから駆けよった。
「金田一さん、あ、あれを……」
そういいながら、私は急いで、懐中電燈を消してみた。
と、どうだろう。私たちの足元からはるか下にあたって、閃せん々せんとして、何やら光るものが見えるのである。金田一耕助も、磯川警部も、さらにふたりの刑事たちも、私にならって急いで懐中電燈の灯を消した。
と、ねっとりと澱よどんだ漆の闇の底のほうから、蛍火ほたるびのように淡いかがやきが、点々として、そこら一面に燃えているのが見えたのである。
「なんだろう」
「なんでしょう」
しばらく私たちは息を殺して、その淡い、青白いかがやきを見つめていたが、やがてまた私は懐中電燈をともし改めて自分の周囲を見回した。そして、自分がいま地底の崖がけともいうべき断だん崖がいの上に立っていることに、はじめて気がついたのである。私は驚いて崖の下をのぞいてみた。そして、そこに青黒い水が、死んだようにトロリと澱んでいるのを発見したのであった。
鬼火の淵ふち!
そうだ、これこそ「鬼火の淵」にちがいない。身をやく渇によし狂うとも、けっしてそこの水をのんではならぬと注意書きのついている鬼火の淵……ああ、私はいつか、姉の地図の限界を踏み越えて、自分の地図の領分まで踏みこんでいたのだ。してみれば、「狐きつねの穴」や、「竜の顎あぎと」も、もう間近いのではあるまいか。
だが……
そのときだった。
私と同じように、懐中電燈を照らしながら身をこごめて鬼火の淵をのぞいていた金田一耕助が、突然、
「あっ、あんなところにだれか浮いている──」
そう叫んだかと思うと、がばとばかりに身を起こした。そして懐中電燈の光をたよりに、しばらく忙しくそのへんを調べていたが、やがて、
「ここに道がある。みんな来てください」
そうどなると、みずからさきに立って崖をくだりはじめた。私たちも、そのあとからついていったことはいうまでもない。
私はもうすっかり転倒してしまって、膝頭がガクガクふるえる感じであった。それにもかかわらず私は、鬼火と見まがうあの光りものが、崖の途中いちめんにはえている、苔こけの類から発せられていることに気がついたのだ。
夜光苔──たぶんこれは、そういう種類のものであったろう。
さて、私たちはすぐ淵のふもとまでたどりついた。暗闇のなかで見ると、ひどく深いように見えたのだけれど実際はそれほどでもなく、崖の上から水面まで、二丈とはなかったであろう。まっさきに駆けおりた金田一耕助は、懐中電燈の光で、しばらく蒼あお黒ぐろい水の上を探していたが、やがて、
「あそこだ、あそこに浮かんでいる」
その叫び声につれて、私たちもいっせいに同じ方角に懐中電燈の光をむけた。そして、四つの光こう芒ぼうの焦点に猿のように小さい体が、仰向けになってぶかぶか浮かんでいるのを認めたのである。
それはたしかに双児のひとりの小梅様にちがいなかった。