「あら、どうして?」
典子は不思議そうに私を見ながら、
「お兄さん、何もお怒りになることないわ。お兄さん、喜んでるんだわ。口に出してはいわないけれど……」
なるほど、それで今日の慎太郎は、あのようににこにこしているのだろうか。だが、そうなると私はまた、不安にならずにいられない。
典子は私を愛している。そして持ち前の無邪気さと楽天的な魂から、自分が愛している以上、向こうも愛してくれるものと信じて疑わないようである。
しかし、私は典子を愛しているだろうか。なるほど、私はちかごろ典子がしだいに好きになってきている。しかも、不思議なことには、典子が急に美しく見えてきたものである。それについて私は反省したことがある。ひょっとすると、あばたもえくぼの類で、典子に惚ほれてきたので、あの月足らず娘が、急に美人に見えてきたのではないかと。……しかし、そうではなかった。典子がちかごろ急に美しくなったことは、姉の春代や女中のお島も認めているのだ。
「新家のお嬢様のきれいにおなりあそばしたこと。正直いって、私あのかたが、あんなきれいなお嬢様におなりあそばすとは思いませんでしたわ」
お島がいつかそんなことをいっているのを聞いたことがある。
思うに典子は私を愛することによって、急に成長を遂げたのであろう。あの月足らずの細胞が、人を愛するという感情の高揚のために、急に青春の清新と溌はつ溂らつとを獲得し、本来あるべき美を取りもどしたのではあるまいか。
だが、そうはいっても私はまだ、典子を愛しているとは思えなかった。それだけに慎太郎に早まった期待を抱かれては困るのだ。
「お兄さま、何を考えていらっしゃるの」
「ううん、別に何も……」
「お兄さま、いよいよ村じゅう総出で、鍾乳洞狩りをするんですってね」
「ああそんな話だね」
「そうなると困るわね。だって当分お兄さまにお眼にかかれないんですもの」
ああ、典子はこんな場合でも、地下道で私に会うことを楽しみにしているのだ。あまりにも強いその恋情に私はたじたじする感じだった。
「お兄さま」
しばらくすると典子がまた声をかけた。
「なに」
「お兄さま、昨夜のことをお巡りさんにおっしゃったのね。英泉さんのことを……」
「うん、いったよ」
「それで英泉さん、今日駐在所へひっぱられたのよ。村の人はそのことで、とてもお兄さんを怒ってるわ」
「どうして?」
私ははっと胸騒ぎを覚えた。
「お兄さまがうそをついて、英泉さんをひっぱらせたと思っているのよ。村にはわからず屋が多いから、お兄さま、お気をつけになってね」
「うん、気をつけよう」
私はまた腹の底が鉛のように重くなるのを覚え、いつか一度は村のひとたちと、正面衝突をしなければおさまらないのではないかとおそれた。まさかそれがあのようなあらしとなって、やってくるとは知らなかったが。……
こうして八つ墓村はいまや、私を中心として、しだいに危機の淵へ接近していたのであった。