「ぼくです、ぼくです、辰弥です、待ってください。今、カンテラをつけますから」
カンテラに灯を入れると、金田一耕助は狐につままれたような眼を見はっていた。
「辰弥さん、き、きみはどうして……!」
「ぼくはどうもしやしませんよ。ぼくはさっきからここにいるんですよ。あなたが一回りして来たんですよ。あなたの入っていた枝洞窟は、きっと向こうでこの洞窟へ出てくるんですね。私は驚きましたよ。あなたとは思わなかったから、カンテラを消して待っていたんです。びっくりさせてごめんなさい」
金田一耕助もやっと納得がいったらしい。
「なるほど、そういえば向こうで道が左右にわかれているところがありましたよ。これだから綱が必要なんですね。ぼくは前へ前へとすすんでいるつもりだったのに、いつの間にやらあともどりをしていたんですからね」
こういう失敗をやりながらも、金田一耕助は洞窟の探検をあきらめなかった。枝洞窟にぶつかると、いちいち丹たん念ねんに調べなければ承知しなかった。しかもその枝洞窟はゆくてに当たって、無数といっていいほど存在しているのだ。
ああ、この洞窟こそ狐の穴にちがいない。
「狐の穴に踏みぞ迷うな」と歌にもある洞窟なのだ。歌によるとその穴は、百八つあるということだが、百八つが調子を合わせるための誇張としても、まだまだたくさんの枝洞窟のあることは覚悟しなければならなかった。金田一耕助はそれを片っ端から調べていくのだ。
私は多少うんざりしたが、実際はその探検も、そう長くはかからなかったのである。それから間もなく、何番目かの枝洞窟へもぐりこんだ耕助が、急にはげしく綱を引いた。
私ははっとして孔の中へとびこもうとしたが、すぐさっき耕助にいわれたことを思い出し、警部の綱をはげしく引いた。そして、その綱と耕助の綱と、二本の綱の端を、天井からぶらさがっている鍾乳石に結びつけているところへ、警部が綱をつたって急ぎ足でやってきた。
「ああ、辰弥君、何かあったのか」
「いや、ぼくもよく知らないのですよ。この枝洞窟の中になにかあるらしいんです」
私たちは耕助の綱をつたって枝洞窟へ入っていった。すすむこと約三百メートル、やがて向こうにカンテラの灯が見えてきた。この洞窟はそのへんで袋になっているらしく、金田一耕助はカンテラのまえにうずくまって一心に地面の上を凝視していた。
「金田一君、金田一君、何かありましたか」
警部の声に耕助は裾すそをはらって起きあがると、手をあげてわれわれを招き、ついで無言のまま足下を指さした。カンテラの灯にうきあがったその顔は、妙にきびしくひきしまっている。私たちは足を早めて耕助のそばに駆け寄ったが、ひと眼その足下を見たとたん、思わずそこに立ちすくんでしまったのである。
耕助の足下に、土饅頭どまんじゅうほどの土くれが盛りあがっているが、その土饅頭の中からニューッとのぞいているのは、おお、なんということだ、洋服を着た男の上半身ではないか。顔はすっかり相そう好ごうがくずれて、ひどい臭気だ。
「埋葬が完全じゃなかったので、臭気を防ぐことができなかったんですね。その臭気のおかげでぼくはさぐり当てたんですよ」
「だれです、これは、いったいだれです」
恐ろしさに歯をガチガチ鳴らしながら叫んだのは私である。警部は固かた唾ずをのんで、この恐ろしいものを凝視していた。
「相好がくずれているのでハッキリ識別することはできません。しかし、これが久野先生でなかったら、私は首をあげてもいい」
それから金田一耕助は、警部のほうを向いて銀のシガレット.ケースを差し出した。
「死体の胸の上においてあったんです。あけてごらんなさい。おもしろいですよ」
警部がひらくと中にはたばこはなくて、短冊型に切った小さな紙片が一枚、そしてその紙片の上には、
医 者 久野恒実
新居修平
と、書いてあり、そして、久野恒実の名前のうえに、赤いインキで棒が引いてあった。しかも、おお、なんということだ。それらの文字はまぎれもなく、久野おじ自身の筆跡ではないか。
してみると久野おじは、自分で自分のいのちをちぢめたのであろうか。