と、姉のさけぶのと同時だった。見ると姉は手に私の靴くつをぶらさげている。
「辰弥さん、逃げるのよ、逃げるのよ。あのひとたち、あなたをつかまえにきているのよ」
「なんですって、ぼくをつかまえにきたんですって?」
私は茫然とした。
「あなたをつかまえて簀す巻まきにして、川へほうりこむんですって。さ、早く逃げて……」
姉は私の手をとって、ぐんぐん離れへ引っぱっていく。私は背筋のつめたくなるような恐怖をおぼえたが、それと同時に、勃ぼつ然ぜんたる怒りがふきあげてくるのを制することができなかった。
「姉さん、なんのためにぼくをつかまえるんです。なんのために簀巻きにするんです。いやだ、いやだ、逃げるのは、いやだ。あいつらに会ってわけをきいてやります」
「いけません、いけません。そんなことをいったって、わかる相手じゃありません。それにいまは気が立っているのだから」
「だって、姉さん、あんまり悔くやしい。それに、逃げるのは自分に罪のあることを認めるようなものじゃありませんか」
「そんなことをいったってしかたがない。負けるが勝ちということもあります。ここはいったん逃げておいて、おりを待って……」
そのときどっとののしる声が、母屋のほうへ乱入してきた。姉の春代は真っ青になり、さすがに私も身内がすくんだ。
「廊下は錠をおろしてきたけれど、あんなものはすぐ破られる。さ、早く、早く」
「だって、姉さん……」
「辰弥さん、まだそんなことをいってるの」
姉は声をはげました。
「あなたは姉さんのいうことがわからないの。姉さんがこんなに心配していることがわからないの。ねえ、逃げて、逃げて! わたしのいうことを聞いて……」
私はもうそれ以上、逆らうことはできなかった。それに屋根や雨戸を打つ礫の音を聞くと、身の危険を思わずにはいられなかった。
「姉さん、逃げるといってどちらへ……」
「しかたがないわ。鍾乳洞にかくれるのよ。『鬼火の淵』の向こうなら、だれも行きはしないわ。そのうちに様子をみて村の人をなだめるし、ひまがかかるようだったらお弁当をとどけるわ。とにかく今夜はわたしのいうことを聞いて……」
姉の顔色はいよいよ悪く、これだけのことをいうあいだにも幾度も息切れがした。私はもうそれ以上、姉を心配させるに忍びなかった。
「わかりました。姉さん、あなたのおっしゃるとおりにします」
私は腕時計をとって腕にまくと、納戸の中へ走りこんだ。時刻は零時三十分だった。幸い納戸にはこのあいだ使ったカンテラや懐中電燈があったので、それを持って長持のふたをあけているところへ姉が合オーバーを持ってきてくれた。
「風邪をひくといけないから……」
「すみません。姉さん、では行ってきます」
「気をつけてね」
姉はせぐりあげる涙をおさえた。私も泣けそうになってきたので、あわてて長持の中へもぐりこんだ。
こうして苛か烈れつな運命は、とうとう私を常とこ闇やみの地下道へ追いこんだのであった。