と、体を乗り出して、
「うちにいる若御寮人よ。おまえも知ってのとおり、あの若僧を神戸まで迎えにいったのは若御寮人だ。それだけにせんにはあの若僧が御ヒイキで、あいつのことといえばムキになって、かばい立てをしたもんだ。ところがどうだ。近ごろは掌を返すようによそよそしくなったし、第一、寄りつきもしねえじゃねえか、きっとあのひとも若僧の性根を見抜いたにちがいねえ。女ながらも眼から鼻へぬけるようなひとだからな」
私は思わずドキリとした。ハッキリ名前は出ないけれど、若御寮人というのは美也子のことにちがいない。
「それじゃ西屋の若御寮人さんも、あいつが下手人だといってなさるのか」
鉄が聞いた。
「うんにゃ。そこはたしなみのあるひとだから、われわれみたいに口軽にはおっしゃらねえさ。でもな、このあいだうちの親方がそっとあのひとの気をひいてみたのさ。すると、若僧の名前が出たとたん、若御寮人は顔色をかえてよ、あのひとのことはいわないで、私の前で二度とあのひとのことなんか聞きたくもないと、そういうと、逃げるように奥へお入りになったというのさ。だから親方なんか、若御寮人はきっとあの若僧が、下手人にちがいねえという、証拠を何か握っていなさるにちがいねえといってるよ」
ああ、それじゃ美也子まで私を見捨ててしまったのか。それにしても証拠とはなんだろう。むろん、そんなものがあるべきはずはないが、かりにそれらしいものを美也子が握ったとしても、なぜ彼女は私に確かめてくれなかったろう。私はまるで地獄へ突き落とされたような暗い絶望を感じた。
「ふむ、するとやっぱり何かな……」
鉄が何かいいかけたときだった。突然、向こうのほうでわっという喚声があがった。それを聞くと三人はいっせいに立ちあがって、
「なんだ、ありゃ……」
「若僧がつかまったんじゃねえか」
「よし、行ってみよう」
三人そろって、駆け出したが、すぐ気がついたように、
「鉄、てめえはここに残ってろ」
「そ、そんな殺生せっしょうな」
「怖いのか。意気地なし。すぐかえってくるから番をしてるんだ」
ひとり取り残された鉄は、松明かざしてしばらくもそもそしていたが、やがて耐えられなくなったものか、
「爺つぁん、ちょっと、ちょっと……」
と、ふたりのあとを追っかけていった。
しめた! このときだ! このときを外して、追っ手からのがれる術すべはない。私は大急ぎで「天狗の鼻」からすべりおりると、「木霊の辻」を回って、「鬼火の淵」へたどりついた。私のいちばんおそれたのは、「鬼火の淵」に見張りがついているのではないかということだったが、幸い、そこまでは気がつかなかったらしく、あたりにはだれもいなかった。
私はほっとして、懐中電燈の光であたりを見極めると、すぐあの桟道にとりついた。真っ暗だったけれどまえに一度とおった経験があるので、それほど恐れはしなかった。
私は間もなく鬼火の淵の向こう岸へたどりついた。あたりは暗くものすごく、とてもひとの来るようなところでないが、私にはもうここよりほかに安息の場所はないのだ。
私は胸の中を木枯らしが吹きぬけていくような侘わびしさを抱いて、悄然しょうぜんとして闇の中にたたずんでいたが、するとそのとき、やにわに私の胸にとびついてきたものがあった。
私はギョッとして、それに文字どおり二、三步とびあがったものだが、
「お兄さま、あたしよ、あたしよ」
そういう声は、なんと、典子ではないか。