さかずきの輪廻(3)
日期:2022-11-03 23:59 点击:250
それと、仏壇の燈火とは、なんの縁がないようなものの、やはり燈火はかすかな輝きを放って、その輝きの一筋に、凧のうなっている、青い大空の果てと、相通ずるところがあることを思わせたのです。夜は、暗い外に、木枯らしがすさまじく叫んでいました。そんなとき、たたく仏壇の磬の音は、この家からはなれて、いつまでも頼りなく、荒野の中をさまよっていました。
いつしか、孫の時代となりました。
彼は、古びた、朱塗りの仏壇の前に立っても、なんのことも感じなくなりました。
ある日、仏壇のひきだしを開けてみますと、小さな箱の中に利助のさかずきがはいっていました。彼は、これを取り出してみましたけれど、それがいいさかずきであるか、そうでないかということは、彼にはわかりませんでした。
けれど、孫は、先祖から大事にしていたさかずきであるということだけは知っていましたので、これをだれかに、鑑定してもらいたいと思いました。
近所に、一人のおじいさんがありました。この人は、なんでも、いまどきのものより、昔のものがいいときめていました。書物に書いてあることも、昔のほうのが、義が固くていいといっていました。暦も、新暦よりは、旧暦のほうが季節の移り変わりによく合っているといっていました。それで、時計すら、数字の刻んであるものよりは、日時計のほうが、正確だといって、船の形をした、日時計を日当たりに出して、帆柱のような、まっすぐな棒から落ちる黒い影によって時刻をはかるのでした。
孫は、そのおじいさんのところへ、さかずきを持ってまいりました。
「おじいさん。どうか、このさかずきを見てくださいまし。」と、彼は頼みました。
きれい好きな、おとこやもめのおじいさんは、家の内をちりひとつないように清めていました。おじいさんは、なにをたずねられても、知らぬといったことはありません。で、村での物知りでありました。さっそく、大きな眼鏡をかけて、
「どれ、そのさかずきかい。」といって、手に取って子細にながめました。
「たぬきかな? いや、ねずみかな、そうだ、ねずみらしい。絵は、あまりうまくないな。けれどこの藍の色がなかなかいい。いまどきのものに、こうした、藍の冴えた色は見られないな。まあ、いい品だろう。」といいました。
「だれが、造ったのでしょうか。」と、孫はたずねました。
おじいさんは、また、さかずきを手に取りあげて、ながめました。
「そうだ、利助と書いてある。聞いたことのない名だな。」
結局、たいした品ではないが、まあ古いさかずきだから、いまどきのものとくらべると悪いことはないというのでした。孫は、家へ帰りました。彼は、さかずきをまた紙に包んで、仏壇のひきだしにいれておきました。
寒い、雪の降る国に、孫はいたくはありませんでした。彼は、いつからともなくにぎやかな東京の街に憧れていました。そして、いつかは、東京に出て、なにか仕事をして、かたわら、勉強でもしようという望みを抱いていました。
とうとう、彼は、家のことを姉や、弟とに頼んで、自分は東京へ出ることになりました。そのとき、彼は、昔から家にあった掛け物や、金銀の小さな細工物や、また、長く仏さまに酒を上げるさかずきになっていた、ひきだしの中にしまってあった利助のさかずきなどをひとまとめにして、それを荷物の中にいれました。彼は、東京へ出てから、なにかたしになるであろうと、思ったのでした。
彼は、東京へきてから、ある素人家の二階に間借りをしました。そして、昼間は役所へつとめて、夜は、夜学に通ったのであります。あるとき、彼は、書物を買うのに、すこし余分の金が入用でありました。そのとき、ふと、国を出る時分に、荷物の中へ入れて持ってきた金銀の細工物とさかずきのまだ、売らずにあったことを思いつきました。