さかずきの輪廻(4)
日期:2022-11-03 23:59 点击:253
「どうせ、あのたばこ入れの飾りや、帯止めの銀の金具は、たいした値にもならないだろうが、もしあのさかずきが、いいさかずきであったなら、値になるかもしれない。しかし、いつかおじいさんに見せたら、あまりほめていなかった。それでも、みんな一まとめにして売ったら、いくらかの金になるだろう。」と、彼は思いました。
孫は、東京へ出ると、じきに掛け物は売ってしまったのです。
「いくら、本物でも、作のできがよくなければ、値になるものではありません。これは、作のできがよくありません。このほうは、汚れていますからだめです。これですか、こいつは、私に、鑑定がつきません……。」
そんなふうに、骨董屋から、まことしやかにいわれて、掛け物は、安い値で手放してしまいました。
それで、彼は、こんどは、正直な人間に売らなければならぬと思いました。
「りっぱな店を張っている骨董屋のほうが、かえって、人柄がよくないかもしれない。だれか正直そうな古道具屋を呼んできて見せよう。」
彼は、そう思いました。
彼は、出かけてゆきました。そして、耳のすこし遠い、声のすこし鼻にかかる、脊の曲がった男を連れてきました。男は、無造作に、毎日、ぼろくずや、古鉄などをいじっている荒くれた手で、彼の出した、金銀細工の飾りとさかずきとを、かわるがわる取ってながめていました。
「こちらの飾りだけを×××××でいただきましょう。このさかずきは、どうでもよろしゅうございます。」と、古道具屋はいいました。
彼には、このとき、ふたたび田舎にいる時分、近所の物知りのおじいさんが、「これは、たいしたものではない、ただ古いからいいのだ。」といった、その言葉が思い出されたのです。
文明のこの社会に生まれながら、昔のものなぞをありがたがるのは、じつにくだらないことだと、彼は簡単に考えたのであります。
「このさかずきも、つけてやろう。」と、彼はいってしまいました。
古道具屋は、それを格別、ありがたいとも思わぬようすで、金銀細工の飾りといっしょに持ってゆきました。
このさかずきのことが忘れられた時分、彼は、ある日なにかの書物で、利助という、あまり人に知られなかった陶工の名人が、昔、京都にあったということを読みました。そして、強く胸を突かれました。なぜなら、彼の家に昔からあった、あのさかずきには、たしかに利助という名がはいっていたからです。
「そうだ、あのさかずきには、利助と名がしるしてあった。また、本には、ねずみや、花や、鳥の絵などをよく描いたとあるが、たしかに、あのさかずきの絵はねずみであった。」と、彼は思ったのでした。
彼は、ほんとうに、とりかえしのつかないことをしたと知ったのです。それにつけて、近所の物知りのおじいさんが、そのじつ、なにも知っていないのを、知るもののごとく信じていたのをうらめしく、愚かしく思いました。
「なぜ、村の人たちは、あのおじいさんのいったことを信じたろう。そうでなかったら、自分も信ずるのでなかったのだ。」と、後悔をしました。
また、「なぜ、自分は、さかずきを、あんなもののよくわからない、古道具屋などに見せたろう? もっといい骨董屋にいって見せたら、あるいは、利助という名工を知っていたかもしれない。」と、彼はそのときとは、まったく反対のことを考えました。
彼は、こうなっては、だれを憎むこともできなく、自らを憎みました。
彼は、また、「自分の祖父は、よほど、趣味の深い、目ききであった。」と思いました。そして、彼は、そう思うと、いままで感じなかった、なつかしさを、祖父に対して感ずるようになったのです。
世にも、その数の少ない利助の作を、祖父が手にいれて、それを愛したこと、そのさかずきは長い間、我が家の古びた仏壇のひきだしの中に入れてあったのを、自分が、むざむざ持ち出して捨てるように、この東京のつまらない古道具屋にやってしまったと考えると、彼はなんとなくすまないような、またとりかえしのつかないようなくやしさを感じたのです。そして、どうかして、それを探し出さなければならないと思いました。
孫は、さっそく、いつか自分の宿に呼んできた古道具屋へたずねてゆきました。そして、二、三か月前にやった、さかずきは、まだ店に置いてないかと、あたりに古道具がならべてあるのを見まわしてからききました。
「あれは、すぐ売れてしまいました。」と、耳の遠い、脊の曲がった男は、とがった顔つきをして答えました。
「だれが、買っていったか、わからないでしょうか?」と、彼は、なんとなく、あきらめかねるので聞きました。
「あなた、この広い東京ですもの……。」といって、男は、きつねのような顔つきをして、皮肉な笑い方をしたのです。
彼は、それに対して、このときだけは、怒る勇気すらありませんでした。
「なるほどそうだ。」と思いました。
東京の街は、広いのでした。大海に、石を投げたようなものです。小さな、一つのさかずきはこの繁華な、わくがように、どよめきの起こる都会のどこにいったかしれたものではありません。
そう考えると、彼は、絶望を感ずるより、ほかにはないのでした。
しかし、また、それは、どこかに存在しなければならぬものでした。
そのさかずきを、買った人は、日本橋の裏通りに住んでいる骨董屋でありました。その人は、まことに思いがけない掘り出し物をしたと喜びました。そして、店に帰ってから、そのさかずきを他の細かな美術品といっしょに、ガラス張りのたなの中に収めて陳列しました。
江戸時代のあの時分から、東京のこの時代に至るまで、また、幾十年をたちましたでしょう。
さかずきは、それでも、無事に、ふたたび江戸時代と変わらない、東京湾に近い、空の色を、街の中からながめたのであります。そして、またここで、日影のうすい、一日をまどろむのでした。
さかずきにとって、田舎へいったこと、仏壇に酒をついで上げられたこと、毎日、毎日、女房が磬をたたいたこと、箱に収められてから、暗い、ひきだしの中にあったこと、それらは、ただいっぺんの夢にしか過ぎませんでした。
さかずきには、家の前をかごが通ったことも、いま人力車が通り、自動車が通ることも、たいした相違がないのだから、無関心でした。
ただ、ある日のこと、太鼓の音と、笛の音と、御輿をかつぐ若衆の掛け声をききましたので、しばらく遠く聞かなかった、なつかしい声をふたたび聞くものだと思いました。
そして、自分は、またどうして、同じ所へ帰ってきたろうかと疑いました。
はかない、薄手のさかずきが、こんなに完全に保存されたのに、その間に、この街でも、この世の中でも、幾たびか時代の変遷がありました。あるものは、生まれました。またあるものは、死んで墓にゆきました。
それが、さかずきにとって、芸術の力でなくて、偶然な存在だと、なんでいうことができましょう。
この街では、ちょうど昔からの氏神さまの祭日に当たるのでした。そして、いつも、昔と変わらない催しをするのでした。
おりも、おり、例の孫は、この日この街を通りかかりました。そして、華やかな、祭りの光景を見て、自分の家も祖父までは、この東京に住んでいたのだなと思いました。
御輿の通る前後に、いろいろな飾り物が通りました。そのうちに、この土地の若い芸妓連に引かれて、山車が通りました。山車の上には、顔を真っ赤にしたおじいさんが、独り他の人物の間に立って、この街の中を見下ろしていました。
彼は、この山車の上の、顔を赤くした、人のよさそうなおじいさんを見ているうちに、自分のお祖父さんのことなどを思いました。自分は、そのお祖父さんの顔を知らなかったけれど、たいへんに酒の好きな人で、いつも赤い顔をしていたということを聞いていました。また趣味の深かった人でもありました。利助のさかずきは、そのお祖父さんの愛用したものだと思い出すにつけて、彼は、なんとなくお祖父さんをかぎりなくなつかしく思いました。
「きっと、お祖父さんも、あの山車の上に立っているようなおじいさんであったろう。」と、彼は思いながら、街を過ぎる山車をながめていました。
若い、派手やかな装いをした女たちが、なまめかしいはやし声で山車を引くと、山車の上の自分のおじいさんは、ゆらゆらと赤い顔をして揺られました。
おじいさんは、にこやかに、街の中のようすを笑いながらながめていました。そして、山車の下を通る車や、仰向いてゆく人々に、いちいち会釈をするように、くびを振っていました。
山車の上のおじいさんは、両側の店をのぞくように、そして、その繁昌を祝うように、にこにこして見下ろしました。やがて、山車は一軒の骨董店の前を通りました。その店にはガラスだなの中に、利助のさかずきが、他の珍しい物品といっしょに陳列されているのでした。
山車の上のおじいさんは、その前にくると、一段、くびを前後に振りましたが、やがて、若い女のはやし声とともに、その前をも空しく通り越してしまいました。
後には、ただ、永久に、青い空の色が澄んでいました。そして、たなの中には、ねずみを描いた、金粉の光の淡い利助のさかずきが、どんよりとした光線の中にまどろんでいるのでした。
こうして、たがいに遇うたものは、また永久に別れてしまいました。いつまた、おじいさんと利助のさかずきと孫とが、相見るときがあるでありましょうか。