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さか立ち小僧さん(1)
日期:2022-11-03 23:59  点击:251

さか立ち小僧さん

小川未明


こいむらさきの、ちょうどなすいろをしたうみうえを、あかおびをたらし、かみをふりみだしながら、のくるったおんなけていくような、なつくもを、こちらへきてからは、られなくなったけれど、そのかわり、もっとやさしい女神めがみが、ももいろながいたもとをうちふり、うちふり、どもたちといっしょにおにごっこをしているような、なごやかな夕雲ゆうぐも姿すがたを、このごろ毎日まいにちのごとく、まちうえそらに、ながめるのであります。
こんど、煉炭屋れんたんやへやとわれてきた少年しょうねん秀吉ひできちは、仕事しごとがすむと、工場裏こうじょううらで、近所きんじょどもたちといっしょにすごす時分じぶん、こうして、ひとりそらをながめながら、いろいろ空想くうそうにふけるのでした。
小僧こぞうさん、さかちしてごらんよ。」と、どもの一人ひとりが、かれのそばへよると、ふいにいいました。なぜなら、かれが、ここへきてから、さかちのうまいということが、じきどもたちのあいだ評判ひょうばんになったからです。それというのも、秀吉ひできちが、故郷こきょうにいる時分じぶんから、さかちだけは、だれにもけまいとけいこをしたからでした。で、いつでも、きげんのいいときには、こういわれれば、
「よし、きた。」と、かけごえをして、うしろへ二、三さがり、まえへのめるかとおもうと、たくみにさかちをして、さながら、あしつように平気へいきで、あちらこちらと、あるきまわりながら、ているものに、はなしかけるのでした。
「ああ、きれいだな。あのたかいえんとつのけむりが、くもなかながれこんでいる。それが、おししののように金色きんいろひかってえる。きみたちにはそうえない?」と、さかちしながら、秀吉ひできちは、いいました。
金色きんいろになんか、えないよ。」
しょうちゃんもけんちゃんも、さかちしてごらんよ。」
こんなにながあいだ、さかちをしていたら、さぞあたまおもくなって、がまわるだろうと、かえって、はたでているものが、心配しんぱいするのでした。
「もう小僧こぞうさん、いいからおやめよ。そんなにながくさかちしていて、なんともないの。」と、さっき、さかちをすすめたどもが、やっきになっていいました。
やっと、秀吉ひできちちなおると、両手りょうてについたつちをはらいおとして、
「ああ、なんともないさ。」と、わらいながら、こたえました。
「おどろいたな、ぼくたちには、できっこない。それに、こんなことをすれば、がってからだおおどくだろう。」と、しょうちゃんがいいました。
「は、は、は、なんでも、ひとのできないことを、するのでなくちゃ、だめなのさ。」と、秀吉ひできちは、自信じしんありげに、いいました。
「それじゃ、小僧こぞうさんは、どものときから、ひとのできない、さかちをしようと勉強べんきょうしたんだね。」と、たけちゃんが、ききました。
「おれは、貧乏びんぼういえまれたのだ。とうちゃんは、おれがまれると、じきんだので、おかおをおぼえていない。おれは、まったく、おふくろの一つでそだてられた。母親ははおやは、手内職てないしょくをしたり、よそへやとわれていったりして親子おやこらしていた。おれは、小学校しょうがっこうをおえると、まち乾物屋かんぶつや奉公ほうこうされた。そして、たまにうちかえると、ははは、いつも、おれにかって、主人しゅじんのいうことをまもり、せいしてはたらけといった。もし、このうえ、わたしどもが貧乏びんぼうしなければならぬようなら、おまえを角兵衛獅子かくべえじしにでもくれなければならぬと、半分はんぶん本気ほんきで、半分はんぶんはおどかしのつもりだろうが、いったものだ。」
秀吉ひできちは、そのときのことをおもすように、いつしかしずんで、だまってしまいました。
小僧こぞうさん、角兵衛獅子かくべえじしって、なになの?」と、たけちゃんがききました。
「まだ、らないの。角兵衛獅子かくべえじしって、わたしのくにでは、ふゆになると、よくむらからむらへわたってきて、おししのめんをかぶったかわいそうなどもが、さかちしたり、でんぐりがえしをしたりしてせるのだ。そのあいだ、おそろしいかおつきの親分おやぶんふえいたり太鼓たいこをたたいたりしてはやすのだ。そして、もし、しそこないをすると、どもをしかるのだ。それらのどもは、なんでもおやのないどもや、貧乏びんぼういえからどもをって、こんなふうにげいをしこみ、ぜにをもらってあるくのだが、どものもらいがすくないと、どもをいじめたり、また、めしをろくろくべさせないといていた。それで、もし、おれがおししにられたら、しかられなくてもすむように、ひとていないところで、ひまがあればさかちのけいこをしたのさ。それでこんなにうまくなったんだ。はじめのうちは、からだのあたまがって、いくどめまいがして、たおれたかしれないが、がまんをして、しまいにはなんでもなくなったのさ。いまとなれば、だれが、おししなんかになるものか。もう、自分じぶんちからで、きられる自信じしんがついたからな。
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