こんど、
乾物屋を
出るときだって、ちっともおれが
悪かったと
思っていない。すこしばかりのいわしのにぼしを
犬にやったとて、そんなに
悪いことでないだろう。なぜって、おれの
給金をこれといって、きめてくれないのだから、それぐらいのことをしたって、なんでもないはずなのだ。」と、
秀吉の
話はだんだん、
熱をおびてきました。
空き
地にいた、
多くの
子どもたちにも、その
話がわかるので、みんな
目を
輝かしながら、
秀吉の
顔を
見つめて、
聞いていました。
「おれはずいぶん
遠い
村まで、ご
用を
聞きにやらされたものだ。ちょうど、二
里ばかりはなれた
居酒屋に
黒という
犬がいて、おれが
帰るときに、
追っても、
追っても、ついてくるのだ。とちゅう、ほかの
犬がたかってきて、ほえたり、
追いかけたりしても、やはりついてくる。
黒はだまって、けっしてあいてにならないが、たまに
大きい
強そうな
犬が
出てきて、いじめられそうになると、どこをどうまわって
逃げるものか、ちゃんと、
先へいって、おれを
待っている。ほんとうに、りこうなかわいい
犬だったよ。おれたちが、
店へつく
時分には、もうとっくに
日が
暮れていて、
外は
真っ
暗だった。そして、おれが、
戸をあけて、
店へ
足を
入れると、さびしそうに、それまで
立ちどまって
見ていた
黒は、
呼びとめても、
後もふり
向かずとっとと、もとの
道をもどっていくのだ。おれは、かわいそうで、どうしようもなかった。
床へ
入っても、
黒のことばかり
考えて、その
姿が
目にうかんで
眠られなかった。いまごろ
黒は、まだあのさびしい
松並木のあるあたりを
歩いているだろう。もう、どのへんへいったろうかと。ある
晩のこと、また
黒がついてきたので、なにもやるものがないから、
店さきのおけにはいっていた、にぼしをすこしばかりつまんで、
投げてやった。それが
運わるく
主人に
見つかって、ひどくしかられた。おまえはきょうばかりでない、へいぜい
店の
品物をそまつにするのだろう、そんなものは、この
家におけないと
主人はいうのだ。おれは、
悲しかったよ。おふくろが、どんなに
泣くだろうと
思うと、おれは、
身を
切られるような
思いがして、
主人にわびたのだ。しかし、がんこな
主人は、どうしても、
出ていけというのだ。さいわい、
近所で、
日ごろから
顔見知りの
人で、そんなら、
東京にいい
口があるが、いってみないかと、せわしてくれたので、おふくろとわかれるのは、つらかったけれど、ここへきたのさ。
こんどの
主人は、いくらいいかしれない。しんぼうして、
早く
大きくなって、ひとりだちをして、かわいそうなおふくろを
安心さしてやらなけりゃ……。」と、
秀吉はいって、なみだぐむのでありました。
このときから、
武ちゃんも、
正ちゃんも、この
遠くからきている
小僧さんに、なにかにつけて、
同情したのであります。
ある
日の、
午後のことでした。
武ちゃんと
健ちゃんがペスをつれて、
草いきれのする
細道を、
川の
方からきかかると、からのリヤカーを
走らせて、
通り
過ぎようとする、
秀吉に
出あいました。
「おや、どこへいったの?」と、
秀吉は、
車をとめて、
聞きました。
「ぼくたち、
川の
方まで、
散歩したんだよ。」と、
二人が
答えました。
「もう、
帰るのかい。そんなら、これに
乗せてあげるよ。」と、
秀吉は、すすめました。
「ペスも
乗せていい。」と、
健ちゃんが、いいました。
「みんなお
乗りよ。」
「ペスもおいで、いっしょに
乗ろうよ。」と、
武ちゃんが、うずくまりました。
このとき、
秀吉は、ふり
向いて、いつも
見ているペスだけれど、はじめて
気がついたように、
「いい
犬だね。」と、ほめました。
「ああ、これでもテリヤなんだ、
純粋じゃないけど。」と、
武ちゃんは、ペスの
頭をなでていいました。
「おとなしくて、りこうな
犬だよ。」と、
健ちゃんは、
小僧さんに
説明して、さらに、
武ちゃんに
向かい、
「こうして
見ると、
小さくないね。ぼく、いつ
見ても、
小犬のような
気がしたが、なかなかりっぱじゃないか。」といいました。
「
小僧さんが、いなかにいたとき、かわいがった
黒という
犬は、どんな
犬なの?」と、
武ちゃんが
聞きました。
秀吉は、リヤカーを
走らせながら、
「
黒かね、りこうな
犬だった。そんな、なになに
種って、
名のつく
犬でなかったけれど、おれは、どの
犬よりも、
黒が
好きなんだよ。」と、
彼は、
髪の
毛を、
風に
吹かせながら、さもなつかしそうに
答えました。そして、なにを
思ったか、
急に
速力をゆるめ、ふり
向いて、ペスを
見ながら、
「この
犬も、いい
犬らしいな。」と、じっと、
目の
中を、のぞくようにしました。そこには、
黒と
共通のものがありました。なんと、その
目は、すみきって、おとなしそうで、すばしっこそうで、なんでも
人間のいうことが、わかるような、かしこそうにみえるではないか。
「
犬って、みんなりこうなんだな。だから
黒もペスも、
同じくらいかもしれない。」と、
秀吉は、いいました。
「
犬って、みんなりこうなんだね。」
「どの
犬も、
人間なんかよりは、りこうだと
思うよ。」
「
人間よりも……。」
「そう、
人間のように
欲深でもないし、いちど
信じれば、
気変わりなんかしないからね。」と、
秀吉は
答えたのです。
二人は、そう
聞くと、
深くうなずかずにはいられませんでした。
「こんど、いつ
国へ
帰るか
知らないが、どうか、それまで、
黒がたっしゃでいてくれればいいが。」
秀吉は、ひとりごとをいって、また、いっしょうけんめいに、リヤカーを、
自分たちの
町の
方へ
走らせたのです。その
後ろ
姿が、
二人の
少年の
目には、なんとなく
悲しくうつりました。
あちらに、
親しみのある、
湯屋の
高い
煙突が
見えたころです。
「
晩に、ぼくたち、
双眼鏡で、
空の
星を
見るから、
秀吉くんも
遊びにきたまえね。」と、
武ちゃんがいいました。
「ほんとうに、おいでよ。」と、
健ちゃんも、いいました。
「
大ぐま
座、
小ぐま
座、
北斗星などを
見るのだよ。それに、もっと
遠い
海王星が、
雲がなくて
見えるといいね。」と、
健ちゃんが、さも
楽しそうに、いいました。
「ご
飯を
食べてからですね。そうすれば、おれも
用事が
終わるから、いかれますよ。」と、
秀吉は、
答えました。やがて、リヤカーは、
坂を
下ると、
道をまがって、
二人の
少年と
犬を
乗せながら、
自分たちの
家のある
町の
中へ
入ったのでした。