その
夜、
空き
地では、かたすみの
方に、わずかばかりしげる
草むらの
中から、いろいろの
虫の
声が
聞かれました。しかし、
秀吉には
故郷の、あのかぎりもなく
広い
田んぼから、さながら
雨の
降る
音のように
流れてくる、ひびきの
高い
虫の
声とは、おのずから
感じがちがって、もう
秋の
近づいたという、
心のひきしまる、さびしさは
味わわれませんでした。
空き
地へ
集まった、
子どもの
群れには、
昼間道づれとなった
武ちゃんや
健ちゃんのほかに、きみ
子さん、みっちゃんなどの、
同じ
年ごろの
学友たちが
加わっていました。
「よく
星が
見えるかい。こんど、ぼくにかしてね。」
「そのつぎは、わたしにね。」
みんなが、
先を
争って、
双眼鏡をのぞこうとしているのでした。
「こんどは、
小僧さんの
番だよ。」と、
健ちゃんが、
大きな
声で
秀吉を
呼びました。
秀吉は、
双眼鏡というものを、はじめて、のぞいたのでした。しかし
月の
世界の
秘密は
肉眼で
見る
以上に、わからなかったのでした。いくらか、はっきりするぐらいなものです。
「どう、よく
見えるだろう。」と、
武ちゃんはさも、
精巧なレンズをほこらしげに、いうのでした。
秀吉はこれに
対して、なんともいわず、
見れば
見るほど
宇宙が
広いので、ただため
息をもらしながら、
双眼鏡を
武ちゃんにかえして、
「
故郷では、いまごろ
空をあおぐと、
手がとどきそうに、
空が
近く、
星が
大きく、きらきら
光って
見えるのだから。」といいました。
「まあ、そんなによく
見えるの。」と、みつ
子さんが、おどろきました。すると、そばに
立っていた
健ちゃんまでが、
「そうかなあ、
空気が
澄んでいるんだね。」と、まだ
知らない
北国をふしぎなところのように
思うのでした。
秀吉は、
自分の
故郷について、みんながめずらしがると、とくいになって、
「ちょうど、
大雨のあと、
小石がたくさん、
頭を
地面へ
出すだろう。あれと
同じように、
夜がふけると、
青、
赤、
緑と、一つ一つ
空に
星の
光が、とぎ
出されるのさ。」と、
秀吉はいって、さながら、わが
家の
前に
立って、まのあたり
空を
見ているように、なつかしそうでありました。
やがて、みんなと
別れて、
彼は
工場の二
階の一
室へもどりました。しかし、
床についてからも、すぐに
眠れませんでした。まくらに
頭をつけながら、
居酒屋の
前に
立つ、
高いかしの
木を
目に
浮かべていました。その
木の
下には、
黒がすわっています。そして、
黒は、
毎日のように、ゆき
来の
旅人を
見送っています。
黒は、おれが、どうして、やってこないのだろうと
思っている。
秀吉は、いつのまにか
泣いているのでした。
目から
落ちる
涙が、まくらをぬらすのでした。
だんだん、
日が
短くなりました。いつしかひぐらしの
声もきこえなくなりました。しかし、
子どもたちも、あまり、それを
気にとめるものがなかったほど、
自然のうつり
変わりは
自然でした。
「このごろ、
小僧さんは、
病気でないのかな。」
「どうして?」
「
歌もうたわないし、
遊んでいるときも、だまって、さか
立ちもしないだろう。」
学校へのとちゅう、
健ちゃんと、
武ちゃんは
話しました。
「そういえば、
元気がないね。いつもほがらかなんだがな。
遠くからきているので、かわいそうだね。」と、
武ちゃんが、いうと、
「
帰ったら、どうしたんだか、きいてみようか。」と、
健ちゃんが
答えました。こうして、
二人は
秀吉の
身の
上に
同情したのでした。
あちらの
庭に
咲いた、さるすべりの
花も、一
時は、
紅くきれいだったが、その
盛りをすぎてしまいました。
夕日が、
西空にしずむと、
北風の
冷たさを
感じるようになりました。
秀吉は、
両手を
頭の
上で
組んで、ぼんやりと、
遠方をながめながら、
物思いにしずんでいました。
この
姿を
見た
子どもたちは、
「きっと、
自分の
家を
思い
出したのだろう。」と、そばへいって
声をかけるのをひかえたけれど、なにか
知らず、
胸を
細い
針でさされたように、
悲しみを
感じたのでした。
その
日は、
日曜で、しかも
空はよく
晴れていました。もう
太陽の
光が、
慕わしくなる
季節だったので、
赤とんぼが、
羽をかがやかして
飛びかうばかりでなしに、
子どもたちが、
空き
地へきて、うれしそうに、
遊んでいました。ボールを
投げるもの、まりをつくもの、おにごっこをするもの、たがいに
楽しく
遊んでいました。
工場の
裏では、
秀吉が、
目の
前にせまった
冬のしたくのため、
精を
出して、たどんをならべて
乾かしていました。
このとき、あちらから、きみ
子さんが、一
枚のはがきを
手に
持って、
表の
方から、かけてきました。
「
小僧さん、おはがきよ。」
そういいながら、きみ
子さんは
秀吉の
前までくると、それを
彼に
渡したのです。
「ありがとう。」と、
秀吉は、なにげなく
受け
取って、ながめると、
「あっ! おかあさんからだ!」と、さけびをあげました。よほど、うれしかったのでしょう。
暗い
元気のなかった
顔がたちまち、ぱっと
燈火のついたように、あかるくなりました。
これを
見たきみ
子さんは、
「おかあさんからなの?」といって、
彼の
胸の
中の
喜びを
察するごとく、
自分までうれしそうにはしゃぎました。
「おれから、たびたび
手紙を
出しても、ちっとも、たよりがないので、おふくろが
病気でないかと
心配していたんだ。いそがしくて
書けなかったが、たっしゃでいると、ごらん、ここに
書いてある。ああ、よかったなあ。」と、
秀吉は、はがきをにぎって、こおどりしました。
「よかったわね。」と、きみ
子さんが、
心から
思いやりのこもった
調子で、いいました。
「こんなうれしいことはないよ。」と、
秀吉は
泣いたのでした。
この
日から、
彼はまた、さか
立ちもすれば、
歌もうたう、いつもの、ほがらかな
小僧さんになったのであります。
武ちゃんと、
健ちゃんは、この
話をきみ
子さんからきいたとき、ちょうど、ボール
投げをしていたが、すぐやめて、きみ
子さんのところへきて、
耳をかたむけたのでした。
「
小僧さんは、おかあさんからの、はがきを
見ると、すっかり
元気になったのよ。」と、きみ
子さんは、いいました。
二人の
少年は、
顔を
見合って、
「ああ、おかあさんのことか……。」
「おかあさんのことだったのか……。」と、たがいに、ため
息をもらしました。
健ちゃんは、
手ににぎっていた、ボールを
地上に
落とし、
武ちゃんは、しばらくだまって、うなずいていました。