台風の子(3)
日期:2022-11-18 23:59 点击:236
こう
考えるのは、
当然のことでした。しかし
若いものは、
元気よく
見られました。
男も、
女も、なんの
屈託もなさそうな
顔つきをしています。むしろ、たまには、これくらいの
苦しい
経験をするほうが
身の
薬だと
喜ぶようにさえいきいきとしていました。なかにも
小さな
子供たちは、
世の
中がたちまち
変わったような
気がして、はだしで
飛び
出して、ざぶざぶと
小川となった
往来をふみわけていました。
「いつも、こんなように、ここへ
川が
流れているといいんだね。」
また
一人の
子は、
赤い
糸を
濁った
水の
中に
流して、
炎のごとく、へびのように、ちらちらするのをおもしろがって
見ていました。ふだんなら、ここを
自転車や、
自動車が
通って、
夢にもこんな
遊びがされるとは
思われなかったのです。まったく
台風のおかげでした。なんでも
新しく、
珍しく、
元気のいいことが、
子供にとってうれしかったのでした。
夕刻のラジオは、いよいよ
夜になると、
風速三十メートルに
達するであろうというのです。
「
兄さん、いま
原っぱに
建てかけている
家が、
飛ぶかもしれないね。」
源吉は、
風の
音をききながら、
新聞を
見ていた
兄に
話しかけました。
「そんな
家は
飛んでしまうだろう。この
家の
屋根だって
飛ぶかもしれないぞ。」
「
風速三十メートルって、どんなかな。」
「
白瀬大尉や、アムンゼンや、シャツルトンらの
探検した
南極や、
北極には、いつも三十メートル
以上の
暴風が
吹いているそうだ。その
氷原へ
探検隊は、
自分たちの
国旗をたてたんだ。すると
旗が、すぐにちぎれたというから、それだけでも
風の
烈しさがわかるのだ。」
オーロラの
怪光が
彩る
北極、ペンギン
鳥のいる
南極、そこは、ふだん
人間の
住む
影を
見ない。ただ
真っ
白な
荒寥とした
鉛色に
光る
氷の
波濤が
起伏していて
昼夜の
区別なく、
春夏秋冬なく、ひっきりなしに
暴風の
吹いている
光景が
目に
浮かぶのでした。
「
生きているのは、
台風だけでない。この
世界が
生きているのだ!」と、
源吉は、
心で
叫びました。
果たして、
真夜中のこと、ぶつかる
風のために、
家がぐらぐらと
地震のように
揺れるのでした。
風は
東南から、
吹きつけるのでした。
電燈は二、三
度明滅したが、
線が
切断されたとみえて、まったく
消えてしまった。
裏の
大きな
桜と、かしの
木のほえる
音が、
闇のうちで
死にもの
狂いに
戦っている
獣のうなり
声を
想像させました。
「いま
台風は、
僕の
家の
上を
通りかけるのだ。
龍夫くんがくるだろう。」
源吉は、
風の
比較的当たらない、
北窓の
戸を
開けて
空を
仰ぐと、
地球が
動くように、
黒雲がぐんぐんと
流れている。けれど、またところどころに
雲切れがしていて、そこからは、ほの
白く
光がもれるのでありました。
「
龍夫ちゃん!」
源吉は、
出るだけの
声を
張りあげて
叫んだ。その
声も、
暴風に
消されて、ほかの
人間の
耳には
入らなかった。そして、
窓から
差し
出した
紙の
旗は、たちまち
雨に
破り
飛ばされて、
竹の
棒だけが
手に
残ったのでした。
「きっと
龍夫ちゃんが、
持っていったんだ。」
そう
思うと、
不思議や
暗い
空に
大きな
穴が
開いて、
星の
光が、
幾つか、ダイヤモンドのごとくかがやきました。
「
龍夫ちゃん。」
もう一
度、
彼は、
星に
向かって
叫んだのでした。
風ばかりでなく、
星も、
雲も、ことごとく
生きていました。そして、ひとすじの
細い
光線が、
空から
胸へ
突きさしたごとく
感じて、
真心さえあれば、
龍夫が
死んだお
父さんにあえたであろうように、
源吉はいつでも
台風の
日には
龍夫にあえると
信じたのでした。
台風の
過ぎた、
翌日の
朝の
空色は、いつもよりかもっと、もっときれいでした。
源吉は、
茫然と
台風の
去っていった
跡の、はるかの
地平線をながめていると、
緑色の
空から、
龍夫が、にっこりと
笑って、
「これから、
僕は、お
父さんと
地球を一
周して、さんご
樹のしげった
南の
島へ
帰るのだ。
源ちゃん、
僕たちの
住んでいる、
南の
方へ、
君もやっておいでよ。」
こういっているごとく、
思われたのでした。