天下一品(2)
日期:2022-11-26 23:56 点击:234
物識りが、「天下一品」といった仏像が、この村の中にあるといううわさが、たちまちあたりに広まりました。我も、我もといって、みんなが男のところへ仏像を拝みにまいりました。
「ありがたそうなお顔をしていらっしゃる。」とか、「慈悲深いお目をしていらっしゃる。」とか、または、「なんとなく神々しい。」とか、みんなが仏像の前に立っていいました。
「これが千両も値打ちのある仏さまですか。」と、中には、おそるおそる近寄ってながめる人たちもあったのです。
すると、この村に、大金持ちで、たくさんの小作人を使用して、また銀行に預金をして、なにをすることもなく、日を送っている人間がありました。欲しいものは、なんでも買いました。見たいところへは、みんないって見てきました。しかし、まだ、自分をなにひとつ満足させるものはありませんでした。金はいくらあっても、それだけでは、この世の中がおもしろくはありませんでした。どうか天下一品のものがほしい。だれもほかに持っているものがないような珍しいものを手に入れたい、と、日ごろから思っていました。
その金持ちの耳に、天下一品の仏像が村にあることが入りました。しかも、目下のものの家にあると聞くと、金持ちは、もはやじっとしてはいられませんでした。さっそく、その男のところへ出かけてゆきました。
「今日は。」と、金持ちは、男のところをたずねました。かつて、金持ちが、この男の狭い、うす暗い家を訪ねるようなことは、ありませんでした。
「だんなさまでございますか。」と、男はいって、金持ちを迎えました。
「ほかではないが、天下一品という仏像を見せてもらいにきた。」と、金持ちはいいました。「いよいよ俺の運が向いたぞ。」と、男は、心の中でいいました。
「仏像というのは、あすこに祀ってあるあれでございます。」と、男はいいました。
いつのまにか、たなの上は、きれいになって、仏像の前には、花やお菓子などが、並べてあったのです。
金持ちは、それがどんな姿であろうが、かまいません。金の力で天下一品が手に入れられるものなら、なんでもそれを自分のものにしたかったのです。
「あ、なるほど。」と、金持ちは、軽くうなずいて、それを手に取ってつくづくと見ていましたが、
「なかなかいい作だ。よほど古いものだ。私はまだこれよりもいいものを見たことがあったが、この像もなかなかいい。手の欠けているのは惜しいものだ。私は、仏像が好きなので、どうか一つ手に入れたいと思っていたが、どうだろう、この像を譲ってもらえまいか。」と、金持ちはいいました。
男は、腹の中では、ほくほく喜んでいましたが、口では、そういわなかった。
「天下一品といいますので、安くて千両だと、あのりこう者がいいました。なにしろ先祖代々の宝物でございまして、なるたけ売りたくはないと、思っています。」と、男は、さもさもらしく答えました。
そう聞くと、金持ちは、ますますこの仏像がほしくなりました。
「どうだ、千両で私に売ってはくれまいか。」と、金持ちはいいました。
男は、二千両も、もっと高くも売りたかったのです。
「まあ、考えてみましょう。」と、あいさつをしました。金持ちは、自分のほかには、千両も出して、この仏像の買い手は、あまりあるまいと思いましたので、その日は、それで帰ったのであります。
隣村に、もう一人金持ちがありました。この金持ちも天下一品の仏像がぜひ見たくなりました。それで、わざわざ男のもとへやってきました。
「どうか、仏像を拝ましてもらいたい。」と頼みました。
「さあ、どうぞごらんくださいまし。仏像はあれでございます。」と、男は、たなの上の仏像を指さしました。
「あ、あの仏像ですかい。地金は黄金ですか、なんでできていますか。」と、隣村の金持ちは聞きました。
「さあ、地金のことは、ぞんじませんが、鑑定してもらうと、安くて千両の値打ちがあるとのことです。先刻も、村のだんなさまが見えて、千両で譲ってほしいといわれました。」と、男は話しました。
「じゃ、千両で買い手があるのですかい。」
「さようでございます。」
「どうだ、私に、千三百両で譲ってくださらんか。」と、隣村の金持ちは頼みました。
男は、しめたものだと、心の中で思いましたが、けっして、顔には見せませんでした。
「なにしろ、先祖代々からの宝物ですから、なるべくなら手放したくないと思っています。よく考えてからご返事申しあげます。」と、男は答えました。
隣村の金持ちは、またくるといって、その日は帰ってしまいました。
後で、男は、これは、またなんというしあわせが自分の身の上にわいてきたものかと考えると、頭がなんとなくぼんやりしてしまいました。そして、それからというものは、仕事が手につかず、圃へも出ませんでした。男は、口の中で、千三百両……と、口癖になって、繰り返して、いっていました。
「地所を買うこともできる。見物に出かけることもできる。」と、独り言をして、夜が明けると、日が暮れるまで、夢を見るような気持ちでいました。すると、そのとき、
「この田舎でさえ、千両や、千三百両で売れる仏像だ。町へいって見せたら、もっと、高く売れないともかぎらない。」と、ある人は、男に向かっていいました。
男も、なるほどと考えました。そこで、その仏像を大事に包んで背中におぶって、町へ出かけてゆきました。途中も、男は、ただ一つ事しか考えていませんでした。そして、口の中では、千両……千三百両……といって歩いていました。
男は、ついに町へ出ました。そこには、大きな骨董店がありました。男は、まずその店へいって見せようと思いました。そして、店先に立って、なるほど、たくさんいろいろな仏像や、彫刻があるものだと、一通り飾られてあるものに目を通したのです。
「いくらいいものがあっても、俺の背中にあるような、天下一品はここにもあるまい。」と、男は心の中でいいながら、ながめていました。
すると、たなの中ほどのところに、寸分違わない、仏像が置いてありました。男は、これに目が止まると、はっと驚きました。そして、自分の目のせいでないかと、なお、大きく目を開けてじっと見ますと、まさしく、自分のおぶっている仏像と、古さから、形まで違わないばかりか、しかも手も欠けていず、完全な仏像でありました。
「天下一品が、ここにもあるぞ。」と、男はたまげてしまいました。そしていくらするものだろうと思いましたから、男は、店の中に入って、きわめて平気を装って、その仏像の値を聞いてみました。
「あのたなの中ほどの古い仏像ですか、おまけして、五両でよろしゅうございます。」と、番頭は、答えました。
「五両?」と、男はいって、耳を疑いました。千両……千三百両……が、五両? きっとこの番頭は盲目なのだ。俺は、一つを村の大尽に千両で売り、一つを隣村の金持ちに、千三百両で売ってやろう。