時計と窓の話(2)
日期:2022-11-27 08:42 点击:287
家へ帰ると、さっそく、柱時計と、おき時計の時間を見くらべてみました。やはり、十五分ばかりちがっていました。いままで、こんな研究をしなかったことにも、落ち度がありました。
「おとうさん、あのおき時計は、くるっていますね。」と、ぼくは、父にむかっていいました。
「そうか。進むのか、おくれるのか。」と、父は、聞きかえしました。
「外国製の正確な時計とばかり信じて、ラジオのほうをちがっていると思ったのですが、いま見ると、やはり、おくれているんです。」
そう、ぼくがいうと、父は、笑い出して、
「そんなことをいうと、笑われるよ。標準時にあわせてあるので、ラジオのほうがいつも正しいのだ。この時計をみがきにやって、長くかかったのも、そんなことだったろう。……時計屋では、下へ落としたことがないかといっていたから。それでなくても、長い間には機械がすれて、くるいがくるので、もう、昔のように、直らないかもしれない。」
こう、聞くと、私のいままでのほこりと喜びは、たちまちきえてしまいました。しかし父はこういったけれど、まだ時計に対して、いくらか未練を持っているようでした。
「時間が正確でなければ、家宝でも、なんでもありませんね。」と、ぼくがいうと、父は、
「しかたがない。なんにでも、寿命というものが、あるからな。」と、さびしそうに、いいました。
「このごろは、日本でも、いい時計ができるから、そのうち、新しいのを買ってやる。」と、いって、さすがに、父は、いつまでも価値のないものに、こだわるようすはなかったのです。
私は、あまり、あきらめのいいのを、かえってものたりなくさえ感じました。
「おかあさんも、平和な感じのするいい時計だとおっしゃったが、ほんとうにおしいことですね。」と、父にむかって、いうと、
「いや、時計は、時間を見るものだ。かざっておく、こっとう品ではない。もうちっと、待っておいで、いいのを買ってやるから。その前に、おまえのへやを直したいと思っているのだ。」と、父が、いいました。
それというのは、ことし三年生になった妹が、まだ自分のすわる机を持っていないので、いつも茶の間のちゃぶ台や、えんがわで、かばんから本を出して、勉強しているのを見て、母は、かわいそうに思って、
「よし子ちゃんにも、一つ机を買ってやらなければ。」と、いったことがありました。父も、
「正吉のいる、四畳半で、二人が勉強するにはすこし暗すぎるから、新しく窓をつけてやりたい。」と、母に話しているのを聞きました。
「時計よりか、へやの明るくなるほうがうれしいです。」と、ぼくは、いって、なぜ早く、妹のことを考えてやらなかったろうと、自分をはずかしく感じました。
「大工のつごうで、すぐにしてやるよ。」と、父がいいました。思いがけない二つの喜びが、一時にやってきたようで、私の胸はおどりました。
「こんなに、私たちのことを思ってくださるのか。」と、心のうちで感謝したのです。
東にしか窓がなかったのを、西にも窓がつくと、同じへやとは信じられないほど、明るくなりました。しかも、その窓からは、これまで見られなかった森や、電信柱や、遠くの高い煙突までが、さながら、油絵を見るように目にうつったのです。この新しい風景は、ぼくの気持ちを、どんなに引き立たせたかしれません。
「これから、うんと、勉強ができるぞ!」
「にいちゃん、ごらんなさい。あんなに雲がきれいだこと。」と、妹が、森のいただきをさして、呼びかけました。
「あ、きれいだね。よし子ちゃん、クレオンで、あの雲を写生してごらんよ。」と、ぼくは、心が空へむかって、とび立つ思いがしました。
こうして、いきいきとした自然を見ると、たとえ、どんな平和な景色でも、時計についている動かないかざりを、感嘆して見る気がしなかったのでした。それに、時間が不正確とわかると、そばにおく気はもうなかったのです。
「こんどは、いい時計が、早くほしいな。」と、ぜいたくと知りながら、妹にむかって、私は、希望を話したのでした。
この希望も、たちまち達せられたのは、十何年か前に、父が、おき時計を買った、古道具屋の主人が、有田焼の大きな丸火鉢を、とどけてくれたからでした。
「ご苦労さま。」と、母は、ねぎらいました。
父は、おくから出てきて、
「この時計ですよ、覚えがありませんか。公使の方が持ち帰られたとかいうのですが。」と、主人に見せました。
「そんなことがありましたかな。十年といえば、いや、私だって、このとおり頭がはげましたから、時計が、いたむのもむりはありません。このごろ、日本製でいいのができました。このさい、おとりかえなさるほうが、およろしいかもしれません。」と、主人はいいました。
「こんなになっても、買う人がありますか。」と、父が聞きました。
「それが、おかしなもので、外国製というので、買っていく人がありますから。」と、主人は笑いました。
「ただ、かざりにするなら、この時計は、りっぱなもんだ。」と、父も、笑いました。
主人が時計を持ちさってしまってから、わずか二日ばかりの内に、父は、日本製の新しい目ざまし時計を買ってきてくれました。いかにも、はりきっていて、元気よく、めざまし時計は、シャン、シャン、と、ひびきをへやじゅうにたて、黒い針は、数字の上をまことに正確にさしたのでした。
「このほうが、いいわ。私たちまで元気になったようね。」と、妹が、光った時計を見上げて、いったのです。
「そうだね、ぼくたちまで、ぼやぼやするなと、いわれているようだね。」と、私が、いうと、
「やはり、外国製?」と、妹が聞きました。
「むろん、日本製さ。それだから、外国にまけるな、むだに時をすごされないぞと、いっているじゃないか。」と、私は答えて、いま日本が貧乏で苦しいのを妹に説明して、昔のようにふたたび立ち上がるのには、ぼくたちが、しっかりしなければならぬのを、教えてやりました。