どこかで呼ぶような(2)
日期:2022-11-28 23:41 点击:244
そうすれば、わたくしは、あの人にもうあえないのかと、さびしく思いました。
車は遠くに見えた、あの森をいつのまにか、うしろにして、町へ出たのでした。はじめて、あの花火は、こんど、新しく、町を電車が、通ったので、その祝賀会がもよおされるためとわかりました。ほかにも、舞台がつくられて、女の子の手踊りなどあってにぎやかでした。わたくしたちは、人だかりの間をわけてすぎると、東京音頭のレコードがなりはじめて、赤い着物のひらひらするのが、目にはいりました。おじさんは、町にはいる時分から、かけていた、黒い眼鏡を、はずしました。道の右がわや、左がわを見ながら、車は、しばらく、速力をゆるくして、いきました。
ある停留場のそばには、たくさんの露店が出ていました。なかには、まごいと、ひごいの生きたのをたらいに入れて、売っていました。どこから、こんな魚を持ってくるのだろうと、わたくしは、はやく川へいって、釣りのできるころになればいいと思っていました。
こんなことを思っているときでした。
あちらを、鈴木くんが、おかあさんと歩いているのが、目にはいりました。彼は、去年まで、おなじ学校にいて、わたくしと同級生だったのです。なんでも、彼のおとうさんは、まだ帰還しないで、おかあさんと二人が、苦しい生活をしているとかで、彼は、学校へくるまえに、新聞の配達をすますそうです。よく遅刻しても、先生はわけをよく知っているので、だまっていました。運動場の水たまりに、白い雲のかげがうつる秋のころでした。彼の家がひっこすので、転校しなければならぬといって、みんなに別れをつげました。その後、わたくしは、ときどき、鈴木くんのことを思いだしたが、いま、そのすがたを見るのです。彼は新しいぼうしをかぶり、手に、大きな買い物のつつみをかかえていました。そして、なんとなく、幸福そうでした。
「きっと、おとうさんがぶじに帰られたのだろう。」
わたくしは、どうか、そうであってくれればいいと思いました。じき、彼のすがたは、人ごみの中にまぎれて、見えなくなりました。
「おじさんは、戦争へは、いかなかったの。」と、わたくしは、聞きました。
「いかぬことがあるものか、六年近くもいって、やっと、このあいだ帰ってきたのさ。るすに家は焼け、親類にあずけておいた妹は、ゆくえがわからなくなって、かわいそうだよ。」
おじさんの声は、かすれました。
「かわいそうだね、まだ小さかったの。」
「でかけるとき、たしか十一ぐらいにしかならぬから、ぶじでいてくれれば、いま十七になるはずだ。だから、ずいぶん大きくなって、ちょっとあっても、こちらではわかるまいが、おれのほうは、そうかわるまいから、妹が見つければ、わかるにちがいない。」と、おじさんは、いいました。
ああ、それで、町へはいったときに、おじさんは、かけていた、黒い眼鏡をはずしたのだなと、わたくしは、思いました。そして、ほんとに妹の身をあんずる、兄の心持ちがわかるような気がして、まぶたがあつくなりました。
「どれ、おそくなるから、もう、もどるとしようね。」
おじさんはそういって、車をまた、きたときの道へとかえしました。
まだ、あちらへ露店がつづいて、いけば、にぎやかなところがあるような気がしました。そして、うす緑色の空の下、どこか遠くの方で、かなしい、ほそい声がして、わたくしたちをよぶようにもきこえました。
わたくしは、車の走る道すがら、焼けあとを見わたして、あのおそろしかった、空襲の夜を思いおこし、火の海の中を、うろついたであろう、少女のすがたを想像して、どうか、たっしゃであって、このやさしいにいさんと、早くめぐりあうようにと、心で祈ったのでした。