百姓の夢(2)
日期:2022-12-07 23:59 点击:221
百姓は腹がすいてくるし、体は寒くなって、目をいくら大きく開けても、だんだんあたりは暗く、見えなくなってくるばかりでした。
彼は、どうなるかと思いました。道を迷って、小川の中にでも落ち込んだなら、牛といっしょに凍え死んでしまわなければならぬと思いました。
百姓は、まったく泣きたくなりました。ことに、
「ほんとうに、今日こなければよかった。来年の春まで、この牛を飼っておくことに、最初からきめてしまえばよかった。あの年とった博労のいったのはほんとうのことだ。いま、この寒さに向かって、他人の手に渡すのはかわいそうだ。」
こう思うと、百姓は、振り向いて、後ろから黙ってついてくる黒い牛を見て、かわいそうに思いました。牛の脊中にも、冷たい白い雪がかかっていました。
「来年の春までは置いてやるぞ。だが、今夜この野原でふたりが凍え死にをしてしまえば、それまでだ。俺は、もう、もう一足も歩けない。おまえは道がわかっているのか? たびたびこの道を通ったこともあるから、もしおまえにわかったなら、どうか俺を乗せて、家までつれていってくれないか?」
百姓は、牛に頼みました。
彼は、最後に牛の助けを借りるよりほかに、どうすることもできなかったのであります。
牛は、百姓を乗せて、暗い道をはうように雪の降る中を歩いていきました。夜が更けてから、牛は、我が家の門口にきて止まりました。百姓は、はじめて生きた心地がして、明るい暖かな家の内に入ることができたのでした。
百姓は、その晩、牛にはいつもよりかたくさんにまぐさをやりました。自分も酒を飲んで、床の中に入って眠りました。
明くる日になると、もう、百姓は、昨夜の苦しかったことなどは忘れてしまいました。そして、これからもあることだが、ああして道に迷ったときは、なまなか自分で手綱を引かずに、牛や馬の脊にまたがって、つれてきてもらうのがなによりりこうなやり方だと思いました。
彼は、あのとき、心で牛に誓ったことも、忘れてしまいました。そして、どうかして、早く年若い牛を手に入れたいと思っていました。
ちょうどその時分、同じ村に住んでいる百姓で、牛をいい値で売ったという話をききました。町へどんどん牛が送られるので、町へきている博労が、いい値で手当たりしだいに買っているという話を聞いたのであります。
彼は、さっそく、その百姓のところへ出かけていきました。
「おまえさんの家の牛は、いくらで売れたか。」とききました。すると、その百姓は、
「なんでも、大きな牛ほど値になるようだから、おまえさんの家の牛は年をとっているが、体が大きいからいい値になるだろう。」といいました。
彼は、もし自分の牛が売られていったら、どうなるだろうという牛の運命などは考えませんでした。ただ、思っているよりはいい値になりさえすれば、いまのうちに牛を売ってしまって、金にしておくほうがいいと思いました。そして、来年の春になったら、若い、いい牛を買えば自分はもっとしあわせになると思いました。
さっそく、彼は、町へ牛を引いていって売ることにいたしました。
こうして百姓は、ふたたびぬかるみの道を牛を引いて、町の方へといったのです。おそらく、今度ばかりは、ふたたび、牛はこの家に帰ってくるとは思われませんでした。
百姓は、道を歩きながら、「あの家の牛でさえ、それほどに売れたのだから、あの牛よりはずっと大きい俺の牛は、もっといい値で売れるだろう。」と考えていました。
そのとき、牛は、何事も知らぬふうに、ただ黙って、百姓の後ろから、ついて歩いていきました。
町へ着きました。そして、百姓は、博労にあって、自分の牛を売りました。ほんとうに、彼が思ったよりは、もっといい値で売れたのであります。百姓は、金を受け取ると、長年苦労を一つにしてきた牛が、さびしそうに後に残されているのを見向きもせずに、さっさと出ていってしまいました。
「大もうけをしたぞ。」と、彼は、こおどりをしました。
百姓は、これが牛と一生のお別れであることも忘れてしまって、なにか子供らに土産を買っていってやろうと思いました。それで、小間物屋に入って、らっぱに、笛にお馬に、太鼓を買いました。二人の子供らに、二つずつ分けてやろうと思ったのであえいます。
この日も、また寒い日でありました。百姓は、たびたび入った居酒屋の前を通りかかると、つい金を持っているので、一杯やろうという気持ちになりました。
彼は、居酒屋ののれんをくぐって、ベンチに腰をかけました。そして、そこにきあわしている人たちを相手にしながら酒を飲みました。しまいには、舌が自由にまわらないほど、酔ってしまいました。
戸の外を寒い風が吹いていました。いつのまにか日は暮れてしまったのであります。
「今日は、牛を引いていないから世話がない。俺一人だから、のろのろ歩く必要はない。いくらでも早く歩いてみせる。三里や四里の道は、一走りに走ってみせる。」と、自分で元気をつけては、早く帰らなければならぬことも忘れて、酒を飲んでいました。
彼は、燈火がついたのでびっくりしました。しかし酔っているので、あくまでおちついて、すこしもあわてませんでした。
やっと、彼は、その居酒屋から外に出ました。ふらふらと歩いて、町を出はずれてから、さみしい田舎道の方へと歩いていきました。
牛を売ってしまって、百姓は、まったく身軽でありました。しかし、いままでは、たとえ彼が道でないところをいこうとしても、牛は怪しんで、立ち止まったまま歩きませんでした。いまは、彼が道を迷っても、それを教えてくれるものはなかったのであります。