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前篇 猟奇の果
日期:2023-09-04 15:13  点击:225

前篇  猟奇 りょうき はて


はしがき


彼は余りにも退屈屋で つ猟奇者であり過ぎた。
ある探偵小説家は(彼も又退屈の余り、 此世 このよ に残された唯一の刺戟物として、探偵小説を書き始めた男であったが)この様な 血腥 ちなまぐさ い犯罪から犯罪へと進んで行って、 つい には小説では満足出来なくなり、実際の罪を、例えば殺人罪を、犯す よう なことになりはしないかと おそ れた よし であるが、この物語の主人公は、その探偵作家の虞れたことを、実際にやってしまった。猟奇が こう じて、遂に恐ろしい罪を犯してしまった。
猟奇の よ、 卿等 けいら は余りに猟奇者であり過ぎてはならない。この物語こそよき いましめ である。猟奇の はて 如何 いか ばかり恐ろしきものであるか。
この物語の主人公は、名古屋市のある資産家の次男で、名を 青木愛之助 あおきあいのすけ う、当時三十歳になるやならずの青年であった。
パンの ため に勤労の必要もなく、お 小遣 こづかい と精力はあり余り、恋は、美しい意中の人を妻にして三年、その美しさに無感覚になってしまった程で、つまり、何一つ不足なき身であったが ゆえ に彼は退屈をしたのである。そして、 所謂 いわゆる 猟奇の徒となり果てたのである。
彼はあらゆる方面で いかもの 食いを始めた。見るものも、聞くものも、たべるものも、そして女さえも。だが、何物も彼の根強い退屈を いや してくれる力はなかった。
その様な彼であったから、当然探偵小説という文学中での いかもの 耽読 たんどく した。犯罪に興味を持った。そして、猟奇の徒が犯罪の一つ手前の刺戟物として、好んで試みる所の、例の猟奇 倶楽部 くらぶ という、変な遊戯をさえ始めた。だが、これとても、結局は彼の退屈を一層救い難きものにしたばかりである。刺戟が強くなればなる程、一方ではそれを感じる神経の方で、 麻痺 まひ して行くのだ。
とは云え、犯罪以外の刺戟剤としては、この猟奇倶楽部が最後のものであった。
そこでは、考え るあらゆる奇怪なる遊戯が行われた。パリのグランギニョルにならった、血みどろで 淫猥 いんわい な小劇、各種の 試胆会 したんかい 風な催し物、犯罪談、etc、etc。会合毎に当番が定められ、当番の者は、例えば「自分は今人を殺して来た」という様なことを、真面目くさって告白して、会員達を 戦慄 せんりつ させ、 仰天 ぎょうてん させ、アッと云わせる趣向を立てなければならぬのだ。
段々種が切れて来ると、しまいには、会員を 真底 しんそこ から戦慄させたものに、巨額の懸賞金をつける申合わせさえした。青木愛之助は ほとん ど彼一人でその資金を提供した。
だが、この様な趣向には限りがある。青木愛之助が、 如何 いか に刺戟に かつ えていたからとて、又彼がどれ程の賞金を けたとて、金ずくで自由になる事柄ではないのだ。
遂に猟奇倶楽部も、趣向が尽きると共に、一人抜け二人抜け、いつ解散したともなく、解散してしまった。そして、そのあとには、前よりも一層耐え難い退屈丈けが取残された。
作者が思うのに、これは当然のことなのだ。猟奇者が猟奇者である間は、永久に彼の猟奇心を満足させることは出来ないのだ。彼はあくまでも第三者であり傍観者だからである。犯罪談をしたり聞いたりしているのでは、真底からの恐怖や戦慄が あじわ えるものではない。 しそれを味いたかったなら、彼 みず から犯罪当事者となる外はないのだ。極端な例で云えば、人に殺されるか、人を殺すかするより外はないのだ。
それが猟奇の果である。だが、如何な猟奇の徒と いえど も、(我が青木愛之助と雖も)どれ程刺戟に餓えたからと云って、まさか自から進んで本当の犯罪者に身を落し「猟奇の果」を わめる程の勇気はないのである。
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