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血みどろの生首を弄ぶ男のこと
日期:2023-09-04 15:43  点击:232

血みどろの生首を もてあそ ぶ男のこと


殆ど一時間近くも走って、男の自動車は、郊外 池袋 いけぶくろ の、駅から十丁もある淋しい広っぱで止った、車を降りたのは確かに彼奴だ。愛之助はとうとう成功したのだ。彼は自分も車を捨てて、闇を這う様にして男のあとをしたった。
広っぱの一隅にこんもりした木立に囲まれて、ぽっつりと黒い一軒家が見える。洋館らしい二階建で、石の門がついている、男はその門を這入って、玄関の ドア を鍵で開いて、スッと屋内に姿を消した。その様子で見ると、家の中には誰も留守番がいないらしい。幽霊男は、この化物屋敷にたった一人住んでいるのだろうか。
暫く待ってもどの窓にも 燈火 ともしび の影さえささず、ひっそりとして屋内に人の気配もせぬ。彼奴、あかりもともさず、あのまま 寝台 ベッド へもぐり込んでしまったのであろうか。愛之助は思い切って石の門を這入り、家の横手に廻って、どこか覗ける箇所はないかと探して見た。
窓はあるけれどどれも内部が真暗で、顔をくっつけても何も見えぬ。尋ねあぐんで、ふとうしろを振向くと、庭の立木の一部が、異様にほの明るくボーッと浮出しているのに気づいた。どこからか非常に薄い光がさしているのだ。分った分った、二階にいるんだなと気がついて、少し建物を離れて見上げると、案の定二階のガラス窓の一つが、ぼんやり赤く見える。だが何という暗い光だ。電燈ではない。恐らく 蝋燭 ろうそく の光であろう。
電燈もない所を見ると、やっぱり空家かしら。では、幽霊男が入口の合鍵を持っていたのは 何故 なぜ だろう。彼は空家の中で、古風な蝋燭などともして、一体何をしようというのだろう。
併し考えて見ると、幽霊男には至極ふさわしい 隠家 かくれが だ。彼奴こんな化物屋敷に人目を忍んで、こっそり思いもかけぬ場所へ現れては、様々の悪事を行っているのだ。 愈々 いよいよ 品川四郎の推察が的中して来た。この怪物、この化物屋敷の中で、品川四郎という分身を種に、どんな戦慄すべき陰謀を企らんでいるか分ったものではない。
夜の闇と、異様な静かさと、古めかしい洋館と、蝋燭の光とが、ふと、彼に妙なことを聯想させた。ジーキル博士とハイド氏! 品川四郎という男は、通俗科学雑誌などと真面目一方の仕事にたずさわって、謹直そうにしているが、彼の心にもう一人の悪魔が住んでいて、時々、ハイド氏になるのではないのかしら。品川はどう考えてもそんな恐ろしい男には見えぬけれど、それが却っていけないのだ。ジーキル博士は一点非のうち所のない高徳なる学究ではなかったか。しかも、一度彼の内なるハイド氏が姿を現わすと、何の関係もない往来の幼児を突き転ばし、その頭を踏みにじって、 はえ あり でもつぶす様に、殺してしまう兇悪無比の怪物と化し去ったではないか。
愛之助は暗闇の中で、思わず身震いした。
「馬鹿な。貴様はどうかしているぞ。臆病者め。そんなことは小説家の病的な空想世界にしかないことだ。第一、この幽霊男と品川四郎と同一人だなんて、科学的にあり得ないことではないか。同一人がどうして、新聞の写真版に二つの顔を並べることが出来るか」
又、一方では帝国ホテルで食事しながら、その同じ日、同じ男が京都の四条通を歩くなんて神変不思議の芸当が人間に出来るものでない。飛行機。……アア、飛行機というものがある。併し 仮令 たとえ 旅客飛行機を利用したとしても、帝国ホテルから立川まで、大阪築港から京都四条までの道のりを考えると、とても同じ日中同一人物が京都に現われる可能性はない。まして、愛之助と品川とがホテルで会食したのは丁度昼過ぎだったのだから、一層この芸当は不可能な訳だ。
イヤ、イヤ、そんなことをクドクド考えるまでもない。愛之助は現に、例の麹町の赤い部屋で、品川四郎と、このもう一人の幽霊男とが、三尺と隔たぬ近さで、世にも不思議な対面をしたのを、ちゃんと目撃さえしているではないか。
愛之助が闇の庭に たたず んで、二階に耳をすましながら、頭では せわ しくそんなことを考えていた時、突然びっくりする様な物音が起った。
一寸の間、物の音か人の声か判断が出来なかった。だが、第二の短い悲鳴で、それが女の声であることが確められた。例の蝋燭の光の洩れている二階からだ。何かしら非常に残酷なことが行われた感じである。
しかも、声はそれっ切りで、又元の深い不気味な、静寂に帰った。いつまで待っても人声は勿論、カタリとも音さえせぬ。
愛之助はもうじっとしていられなかった。彼は柄にもない冒険を思い立った。玄関から這入ったのでは相手に悟られ、どんなひどい目に合うかも知れぬ。それよりもガラス窓を さいわい 、先ず外部から部屋の様子を見届てやろうと決心したのだ。
丁度その窓の外に、二間ばかり隔てて、大きな松の木が立っている。彼はいきなり、電燈 工夫 こうふ の様に、その幹へ這い上った。全身汗びっしょりになって、やっと、窓と同じ高さの枝に達することが出来た。
そこの太い枝に腰かけ、両手で幹につかまり、身体の安定を保ちながら、彼は二階の窓を覗いた。
ガラス戸は締め切ってあったが、ガラス一面にほこりが溜って半透明になっているのと、蝋燭の光が何かの蔭になっていたので、暫らくは何が何だか分らなんだが、よく見定めると、ワイシャツとパンツ丈けの男が、こちらに背中を見せて何かやっていることが分った。蝋燭は、その男の身体で隠されているのだ。それが幽霊男に相違ないことは、品川四郎そっくりの身体の恰好で明かだ。
部屋はやっぱり空家同然で、何の飾りつけも家具もなく、ただ男の向う側にテーブルの様な台の一端が見えているばかりだ。
男は時々身動きをする。それが、上身をかがめ首を垂れて、何かおがむ様な恰好に見える。一体何をしているのかしら。男の蔭になって見えぬテーブルの上に、その対象がのせてあるに相違ないのだが、この深夜、空家みたいな部屋で、何かを 礼拝 らいはい しているというのも変な話だ。それに、さっきの女の悲鳴は一体何を意味するのか。見た所、部屋には幽霊男一人丈けで、女なぞいそうにない。
眼が慣れて行くに従って、段々微細な点が分って来た。先ず、男がワイシャツを肘の上までまくり上げていることに気がついた。何かひどい力仕事でもした恰好だ。次に、そのワイシャツの袖口に点々として赤いしみのついていることが分った。血だ。よく見ると、むき出しの腕には川の様に恐ろしい血のあとが凝固している。
愛之助は、礼拝している物体を想像した。若しやさっきの悲鳴の主の死体が、そこに よこた わっているのではないだろうか。だが、どうも死体の様な大きなものではない。
愛之助の好奇心は極点に達した。
「アア、あれはおがんでるんじゃない。接吻しているんだ」
男の仕草がふとそんな感じを与えた。だが、一体全体何に接吻しているのだ。死体にか? 辛抱強く見ていると、遂に男が身体を動かした。今まで隠れていた小テーブルと、その上の物体があらわになった。
同時に松の木がガサガサと音を立てて、烈しく揺れた。愛之助が驚きの余り、危く枝を すべ り落ちようとしたからだ。だが、彼は 咄嗟 とっさ に気を取り直して、身体の位置を安全にして、その物体を熟視した。
そこには人間の、まだ若い女の、首丈けがテーブルにのせてあったのだ。しかも、今胴体から切離したばかりの様に、生々しく、血のりにまみれて。
愛之助がそれを一目見た時、あんなにも驚いたのは、一刹那、若しやその首が妻の芳江のではないかと思ったからだが、すぐそうではない事が分った。見も知らぬどこかの娘さんだ。
幽霊男は、見慣れぬ型の金属製の 燭台 しょくだい を手にして、それをさしつけ、さしつけ、つくづくと女の首に見入っていた。
首は目を半眼にして、眉を寄せ、口を開き、歯と歯の間に舌の先が覗いている。 猥褻 わいせつ に近い苦悶の表情である。蝋燭の光が、赤茶けた光を投げ、異様な くま を作っている。血は白い歯を染めて、唇から顎へとほとばしり、テーブルに接する切口の所は、さかなの はらわた みたいにドロドロして、その間から、神経であろうか、不気味に白い ひも の様なものがトロリとはみ出している。そんな微細なことがハッキリ分る筈はないのだが、愛之助はアリアリとそれを見た様に思った。
やがて、ゾッとする様なことが起った。幽霊男があいている方の手で、変なことを始めたのだ。彼は最初指先で、はみ出している女の舌を、チョイチョイと口の中へ押し戻す様な仕草を繰返していたが、舌が歯の間に隠れてしまうと、今度は歯と歯の中へ指を入れて、それをこじ開けて、一本の指が二本になり、三本になり、遂には手首から先を、死人の口の中へ押し込んでしまったのだ。すると、口の中に溜っていた血潮が、泡を吹いて、彼の手首を つたわ って、泉の様に毒々しく美しく あふ れ出して来るのが見えた。
次々と、ここには しる し得ぬ程、惨虐で淫猥な 所業 しわざ が続けられた。そして幽霊男の生首遊戯はいつ果つべしとも見えぬのだ。
幽霊男が嘗つて赤い部屋で、又芳江に対してマゾッホであったと云って、それだから、彼がサドでないとは云えぬ。両者を兼ねるもの古今東西に その 例が乏しくはないのだ。 おも うにこの幽霊男は、軽微で上品な(変な云い方だが)マゾヒズムと、兇暴なサジズムとを兼備し、その上に、戦慄すべきラスト・マーダラアであったに相違ないのだ。
ふと気がつくと、松の木の根本で、変な咳払いの様な音がしていた。そして、愛之助を仰天させたことには、その音が刻一刻高く大きくなって来ると共に、犬の鳴声である事が分った。悪魔は用心深く番犬を飼っていたのだ。どこかへ行っていたその番犬が帰って来て、不思議な樹上の人物を嗅ぎつけたのだ。見ると、幽霊男は、その声に気づいた様子で、こちらを振向き、恐怖の表情を真正面に見せて、窓の方へ歩いて来る。
「もう駄目だ」と思ったけれど、兎も角も逃げられる丈けは逃げて見ようと、愛之助はいきなり地上目がけて飛び降りた。飛び降りると弾力のある温かい肉塊が、非常な いきおい でぶつかって来た。存外大きな奴だ。
愛之助は暫くその動物を持て余していたが、とうとう致命的な一撃を食わして、一目散に表門へと走った。
だが、その時はもう遅かった。
門へ来て見ると、ワイシャツの腕まくりをした、例の男が、先廻りして、ちゃんと待ち構えていた。手には小型の銃器が光っている。
「逃げると、怪我をしますよ」
幽霊男は、落ちつき払って声をかけた。
「少し君に話したいこともありますから、一度家へ這入ってくれませんか」
愛之助は相手の命ずるままに動く ほか 致し方がなかった。
男は愛之助の背筋へピストルを当てがって、あとから押す様にして、玄関を上り、階下の奥まった一室へと連れて行った。
家具のない、ほこりだらけの、だだっ広い部屋だった。
「僕をどうしようと云うのです」
部屋に這入ると、愛之助はやっと口をきいた。
「どうもしない。僕が 行方 ゆくえ をくらます間、ここにじっとしていて欲しいのです。それには、手足の自由が利いては危険だから、君の身体を縛って置くつもりです」
品川四郎と寸分違わぬ男が、声まで品川の声で宣告を下した。
哀れな青木愛之助は、間もなく手足をしばられて、ほこりだらけの板の間に転がっていた。その頭の所に、勝ち誇った幽霊男が立ちはだかっている。
「君の名は聞かないでも知ってます。青木君でしょう。僕は君の友達の品川君も知っているし、そればかりじゃない、君の細君の芳江さんまで知っていますよ。ハハハハハハハハ、僕の名かい。やっぱり品川四郎さ。ハハハハハハハ、僕の身体のどっかに、品川四郎でない所がありますかね」
男の手やワイシャツの袖には、まだどす黒い血がついていた。
愛之助は、何とも形容出来ぬ気持だった。彼をこんなひどい目に合わせて、あざ笑っているのは、親友の品川四郎と寸分違わぬ男だ。しかも同時に彼に取っては憎んでも憎み足りない妻を盗んだ曲者であり、又惨虐 たぐい なきラスト・マーダラアなのだ。
「君、本当のことを云ってくれ給え。君は全く品川君じゃないのかい」愛之助はそれを尋ねないではいられなかった。
「サア、どうですかね。若し僕が品川だったら、どうしようとおっしゃるのです」と曲者はふてぶてしく答えた。
「若しや品川君だったら、僕は頼む。僕は決してさっき見たことも、絶対に他言はしない。ただ君と僕の妻との関係丈けは、本当のことを打明けてくれ給え。ね、品川君、頼みだ」
「ハハハハハハ、とうとう品川君にしてしまいましたね。だが、お気の毒だが、僕は品川じゃありませんよ。奥さんのことですか。サア、それは御想像に委せましょう。君、知ってるんでしょう」
愛之助は思わず歯を食いしばって、うめいた。
「じゃ、そうしておとなしくしているんですよ。さよなら」
幽霊男は云い捨てて、部屋を飛出すと、バタンとドアをしめて、外からカチカチと錠前をおろしてしまった。
愛之助は板の間に転がったまま、余りの出来事に考えを纏める力も失って、暫くは茫然としていた。幽霊男がこんなひどい人殺しだとは想像もしなかった。第一に九段坂のスリ、次は赤い部屋の奇怪な遊戯、鶴舞公園の不倫な 私語 ささやき 、悪人には相違ないと思ったけれど、まさかこれ程の極悪人とは思わなんだ。品川四郎が つて、どんな大陰謀を企らんでいるかも知れぬと、恐れ おのの いたのは、考えて見ると決して 杞憂 きゆう ではなかった。
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