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愛之助遂に殺人の大罪を犯すこと
日期:2023-09-04 15:44  点击:283

愛之助 つい に殺人の大罪を犯すこと


だが、ガランとした部屋の中には、已に妻の姿はなかった。つい今まで話声がしていたのだから、どこへ逃げる ひま もない筈だ。窓には例の鉄格子がはまっている。たった一つの逃げ道は、隣室へ通じている ドア である。愛之助はその ドア の向側に、気のせいか きぬ ずれの音を感じた。しかも、部屋の構造から想像するに、そこは寝室に相違ないのだ。ベッドさえ置かれているかも知れぬと思うと、彼は一層カッとして、いきなりその扉へ突進した。
「オッと、そう刑事みたいに、他人の家を家探しするもんじゃありません」
幽霊男は素早く ドア の前に大手を拡げて、品川四郎の顔でニヤリと笑って、立ちすくむ愛之助を見据えた。
その落ちつき払った相手の様子が、一層愛之助を逆上させた。飛びかかって締め殺してやり度い程に思うのだが、腕力では とて かな わぬことが分っている。彼は救いを求めでもする様にキョロキョロキョロとあたりを見廻した。
と、キラリと彼の目を射たものがある。彼にとって何という 僥倖 しあわせ であったか、迂闊千万にもそこのテーブルの上に、一挺のピストルが置いてあるではないか。
彼は鉄砲玉の様にテーブルに飛びついて、殆ど無感覚になった手で、一生懸命そのピストルを掴むと、クルリと振向いて、筒口を曲者の胸に向けた。
「こいつは 大縮尻 おおしくじり だ。うっかりピストルを忘れていましたよ。ハハハハ」
怪物はビクともしない。平気で大手を拡げたままだ。
愛之助は敵の余りに大胆な様子に、ふとあることに気づいてギョッとした。
「さては、貴様。このピストルは から だな」
「ハハハハ、よく気の廻るお人だ。空じゃありません。ちゃんと たま がこめてありますよ。だがあなたピストルを打ったことがありますか。打ち方を御存知ですか。それに、ホラ、あなたの手は中気 みの様にブルブル震えているじゃありませんか。ハハハハ、ピストルなんて、持手によっては、そんなに おそろ しいもんじゃありませんよ」
「そこをのき給え。のかないと、本当に打つよ」
愛之助は、声を震わすまいと一生懸命になって叫んだ。
「お打ちなさい」
怪物はやっぱりニヤニヤ笑っている。相手に発砲の勇気がないとみくびっているのだ。
「打ってやろうか。引金を引っぱればズドンと行くのだ。だが、打ったら大変なことになるんだぞ。打っちゃいけない。打っちゃいけない」
併し、いけないと思えば思う程、引金にかけた指が独りでに曲って行った。誰か止めてくれと泣き出しそうになりながら、とうとう、引金が動いた。ワッ、しまった。と思った時には、ブスッという ふる え上る様な音がして、 煙硝 えんしょう におい がパッと鼻をうった。
目をそらしたが、目の方で釘づけになった様に、相手を見つめて動かなんだ。
幽霊男は、まるで別人の様な、変な表情で、黙って突立っていた。両眼は開ける丈け開いて、愛之助の方を向いていたが、それが妙なことに、睨みつけられているという感じは少しもしなかった。
拡げた両手の先丈けが、掴みかかる様に、可愛らしく 一寸 ちょっと 動いたかと思うと、やがてグッタリ両脇に垂れてしまった。
白いワイシャツの胸に、焼け焦げたみたいな小さな穴が開いていた。奥底が知れぬ様な黒い穴だった。見る見る、その穴から絵の具の様な真赤な動脈の血が、ブツブツと泡を吹いて湧き出し、細い川となってツーッと流れた。
同時に、男の大きな身体が、溶ける様に、或は、くずれる様に、ヘナヘナと 俯伏 うつぶ せに倒れて行った。
愛之助の目には、それらの咄嗟の出来事が、活動写真のスローモーションの様に、異様にのろのろと、しかも微細な点までもハッキリと映じた。
彼は邪魔ものがなくなったので、相手の身体を跨ぎ越して ドア に近づき、その向側に震えている妻の芳江を予期しつつ、 いきおい こめてそれを開いた。
暗くてよくは分らぬけれど、人の 気色 けはい はない。
「芳江、芳江」
愛之助はしわがれた声で呶鳴った。手応えがない。
彼は部屋に踏込んで、隠れん坊の鬼の様に、隅から隅へと歩き廻った。そして、芳江のグニャグニャした身体の代りに、ポッカリと口を開いた、もう一つの出入口にぶつかった。
一方口 いっぽうぐち で寝室だとばかり思込んでいたのは、飛んだ間違いで、その部屋には ほか に出口があったのだ。
半狂乱の愛之助は、暗闇の部屋から部屋へと、人の気色を探して、うろつき廻った。ポケットにマッチを持っていたことに気づいたのは、やっとしてからであった。彼はマッチを一本一本擦っては、もう一度家中を探して見た。二階へも上って行った。だが、どこにも妻の姿はない。
逃げたのだ。どこへ逃げたのかしら。まさか家へではなかろう。どこへ、どこへ。
そんなことを考えながら、彼はいつか又、元の部屋へ帰っていた。そして、さっきのままの姿で俯伏している幽霊男の死骸を見た。
「アア、俺は人殺しだ」
ゾーッと氷の様なものが脊髄を這い上った。彼はその時になって、やっと彼の犯した罪を感じたのだ。
「アア、もう駄目だ」
頭の中で、あらゆる過去の姿が、地震の様にグラグラとくずれて行った。
彼は何を考える力もなく長い間突立っていた。
「だが、若しかしたら、こいつ死んだ真似をしていて、今にワッと飛び上って、俺をおどかす積りじゃないかしら」
ふと変なことを考えて、彼は死骸に近づき、その顔を光の方へ、ギュッとねじ向けて見た。だが、白茶けた羊皮紙の様な顔は、笑わなかった。笑う代りに、どうかしたはずみで、ガックリと顎が落ちると、開いた口の白い歯の間から、絹糸みたいに細い血が、ツーッと頬を伝って流れた。
それを見ると、愛之助はヒョイと手を放して、その辺に突当りながら、いきなり戸外へ飛出し、前の広っぱを人家の方へ、えらい勢で駈け出した。

 

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