青黒い液体
「さあ、おもしろいものを、見せてやるから、こちらへきたまえ。」
その声に、ふっと目がさめたように、あいての姿をさがしました。いままで、なにも見えなかった目の前に、二十面相のメフィストが立っているのです。
夢を見ているような気持で、時間のたつのもわからなかったのですが、たぶん、三十分ほどじっとしていたのでしょう。見ると、さっきのひかる玉はどこへいったのか、かげも形もありません。また、もとのてんじょうへ、ひきあげられてしまったのか、それとも、ひょっとしたら小林君たちの頭の中へ、とびこんで、きえてしまったのかもしれません。
ふたりの少年は、メフィストにうながされて、立ちあがりました。
「三階のやねの上だよ。そこに、おれの天文台があるのだ。その天体望遠鏡を、のぞきにいくのだよ。」
二十面相は、部屋を出ると、ツバメのようなイブニングのしっぽを、ヒラヒラさせながら、階段をあがっていきました。二少年も、そのあとにつづきます。
二階から三階、そして屋上に出ますと、大望遠鏡のまるいドームが、そびえていました。
「へんだな。外から見たときにはやねの上に、こんなまるいものなんかなかったのに。」
小林君はそうおもって、井上君の顔を見ました。すると、井上君も「ふしぎだな。」という目つきで、小林君を見かえすのでした。
「さあ、ここをのぞいてごらん。昼間だから、肉眼では見えないが望遠鏡はRすい星にあわせてある。あのネジネジの、しっぽをもったすい星が、レンズいっぱいに、ひろがっているんだよ。」
メフィストのさしずにしたがって、小林君がまず、それをのぞきこみました。
なるほど、望遠鏡いっぱいのRすい星です。赤いしっぽが、グルグルまわっています。すい星の頭の、まるいところは、無数の小さいつぶがあつまってできているので、地球や月のような天体とはちがうのですが、いくら度のつよい望遠鏡でも、そこまではわかりません。
しかし、あれはなんでしょう。そのつぶつぶが、とびだしてきたのではないでしょうか。ごらんなさい。小さな黒いほこりのようなつぶが、すい星の頭をはなれて、こちらへ、とんでくるではありませんか。
ひじょうな速さとみえて、そのつぶつぶは、みるみる大きくなってきます。一つ、二つ、三つ、……五つ、……七つ、あっ、十一もあります。十一の黒いつぶが、すい星をはなれて、こちらへとんでくるのです。
もうつぶつぶではありません。なにかひらべったい、まるいものです。それがだんだん大きくなってきます。
あっ、空飛ぶ円盤とそっくりです。グルグルまわりながら、地球をめがけて、とんでくるのです。
「たいへんです。Rすい星から、円盤がとんでくるのです。」
「そう、それを、きみたちに見せたかったのだよ。井上君も、かわって、のぞいてごらん。」
こんどは井上少年が、のぞく番でした。
円盤は、もう、すぐ目の前を、とんでいるように見えました。
おさらのような、うすべったい円盤が、十一個、さきをあらそって、ちかづいてくるのです。つぶつぶのときには、黒く見えましたが、いまはネズミ色です。
その円盤が、望遠鏡のレンズいっぱいにひろがりました。いまにも望遠鏡にぶっつかりそうな気がします。
「きみたち、妖星人が地球へやってくるのがわかっただろう。カニ怪人は、二十面相のいたずらときめられてしまったが、こうして望遠鏡をのぞいてみると、そうでないことがわかるのだよ。やつらは、まい日、まい日、とんでくるのだ。いまに地球は妖星人に占領されてしまうだろうよ。」
井上君は、円盤がすぐ目の前にちかづいてくるので、こわくなって、望遠鏡から目をはなし、
しかし空には、なにもありません。望遠鏡では近くに見えても、ほんとうは、肉眼では見えないほど、とおいとおいところを、とんでいるのでしょう。
「あの円盤は、どこへ着陸するつもりでしょう。」井上君が、メフィストにたずねました。
「陸ではなくて、海の中かもしれない。さいしょのやつが、やっぱり海だったからね。あの円盤は潜航艇のように、海の底を走ることができるんだよ。」
小林君は、もう一度、望遠鏡をのぞきましたが、のぞいたかとおもうと「あっ。」とさけんで、目をはなしてしまいました。円盤があまりに近くをとんでいるので、いまにも、じぶんの顔にぶっつかりそうだったからです。
「さあ、それじゃあ、下へおりよう。まだまだ、きみたちに見せるものがあるんだよ。」
メフィストは、そういって、さきに立って、階段をおりました。二少年も、夢みごこちで、そのあとにしたがいます。
一階までおりて、さっきとはちがった、ひろい部屋にはいりました。
ここは、窓のカーテンが、すっかりひらいていますが、もう夕方なのと、窓の外に、木がしげっているのとで、部屋の中は、うすぐらくなっていました。
メフィストの二十面相は、その部屋のまんなかに立って、しばらく、じっとしていましたが、ふっと、なにかに気づいたようで、首をかしげて、耳をすましました。
すると、二十面相の顔が、びっくりするほど、かわってきました。四角なふちなしめがねの中の目玉が、ただでさえ大きいのに、それが、倍も大きくなって、いまにもとびだしそうです。顔色は、まっさおになっています。
その部屋には、二つドアがあって、いま、みんなのはいってきたドアとは、べつのがわに、もう一つのドアが、しまっています。
二十面相は、しのび足で、そのドアに近づくと、板に耳をあてて、むこうがわのもの音を、ききとろうとしました。
四角なめがねの中の大きな目は、ひらきっきりで、まばたきもせず、なにかに、ひどくおびえているのです。二十面相ともあろうものが、こんなにビクビクするのは、どうしたことでしょう。
二十面相は、たちぎきするだけでは、がまんができなくなったとみえて、ドアのとっ手をまわして、ほそめにひらき、外をのぞきました。
あっ、しまった、というようすで、ひらいたドアを、しめようとしましたが、もう、まにあいません。
ドアのむこうから、青黒い液体が、
二十面相は、ドアから手をはなして、にげようとしましたが、液体は、もうかれの足をひたしていました。ネバネバとねばりつく液体のようで、そこから足をぬくことができないのです。
液体は二十面相のズボンを、腰のほうへと、はいあがっています。液体が上にながれるのは、へんですが、まるでナメクジかなんぞのように、ズボンを上へ上へと、のぼっていくのです。
二十面相の腰から下は、もう液体のために、つつまれてしまいました。
しかし、液体は、それで、はいあがるのをやめたわけではありません。ズボンから、こんどは、上着へとのぼっていきます。
「あっ、あれカニだよ。小さなカニがウジャウジャいて、液体のように見えるんだよ。何千、何万というカニのかたまりだよ。」
井上君が、それに気づいて、さけびました。
このあいだまでカニ怪人であった二十面相は、じぶんのあらわれるまえぶれに、小さいカニをたくさん、そのへんに、はわせたものですが、その二十面相が、このカニの
「ワーッ、たすけてくれえ。」
二十面相が、悲鳴をあげました。見ると、カニどもは、もう肩まで、はいあがっています。二十面相はそれを、ふりはらおうとするのですが、ふりはらっても、ふりはらっても、カニは、しゅうねんぶかく、のぼってくるのです。
もう、首から顔まで、のぼりついてきました。顔じゅうカニでいっぱいになりました。青黒い、ウジャウジャした、いやらしい顔にかわりました。
「ああ、もうだめだ。小林君、井上君、おれはもうだめだ。あとは、きみたちだけで、見てくれ。まだおもしろいものが、たくさんあるんだ。きみたちが、見たことも、きいたこともないような、おそろしいものが、まっているのだ。
ああ、カニのやつ、あわをふきだした。このあわで、おれはとかされてしまうんだ。いや、こっちへ、近よるんじゃない。おれはもう、どうしたって、たすからないのだ。あ、あ、おれは、もうだめだっ。」
全身をカニの群れにおおわれて、二十面相の姿は、もう見えません。やがて、カニどもが、あわをふきはじめました。ひざをついて、くるしんでいる二十面相の形は、一面の白いあわに、つつまれてしまいました。
それから、おそろしいことがおこったのです。カニにおおわれた二十面相の姿が、とけるように、だんだん小さくなっていくではありませんか。やがて、クナクナと、くずれるように、ひらべったくなり、あっとおもうまに、もうなにもなくなってしまいました。あとには、カニの群ればかりが、ドロドロの青黒い液体となって、床一面にしずかにながれているのでした。