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大空の怪物
日期:2023-09-15 16:46  点击:248

大空の怪物


銀座のできごとがあってから、三日目の真夜中に、まるで恐ろしい夢にうなされているような、とほうもないことがおこりました。
もう夜の十二時をすぎていました。どんよりとくもった、星のない夜でした。渋谷しぶや駅の近くの盛り場も、電灯が消えて、すっかり暗くなっていましたが、それでも帰りのおそい人たちが、戸をしめた商店の前を、おおぜい歩いていました。
十二時十分ごろでした。歩いていた人たちが、おもわず立ちどまるような、みょうな音が、どこからともなく聞こえてきました。それは、ニコライ堂のかねのような音でした。
「ウワン、ウワン、ウワン、ウワン……。」
みょうに、心のそこにこたえる、ぶきみなひびきです。それが、なんだか、空の方から聞こえてくるように思われるので、みんなは立ちどまって、まっ暗な空を、じっと見あげました。
「ウワン、ウワン、ウワン、ウワン、ウワン、ウワン……。」
その音は、だんだん大きくなって、しまいには空いっぱいにひろがり、こまくもやぶれるほどの恐ろしいひびきになりました。
あれとそっくりです。三日前の銀座の空からふってきた、あのぶきみなわめき声と、そっくりです。しかし、渋谷の大通りを歩いている人たちは、銀座の音を聞いていないので、まだわけがわかりません。ただ、気味わるさにふるえあがって、キョロキョロとあたりを見まわすばかりでした。
そのうちに、みんなが見あげている空に、びっくりするほど大きな白いものが、ボヤーッとあらわれてきました。白い雲でしょうか? いや、こんなやみ夜に、雲が白く見えるはずはありません。百メートル四方もあるような、えたいのしれない白いものです。それが、もやもやと異様にうごめいているのです。
暗い大通りを歩いていた人たちは、ひとりのこらず立ちどまって、まるで人形にでもなったように、身うごきもしないで、空を見あげていました。ときたまとおる自動車まで、車をとめて、運転手も乗客も窓をあけて、空を見あげているのです。
交番の前では、おまわりさんが、見台みだいでは、消防署のおじさんが、やっぱり、人形のように動かなくなって、空を見つめていました。
もやもやと、うごめいているものが、だんだん、はっきりしてきました。
「あっ、悪魔の顔だ! 悪魔が笑っているのだ!」
大通りに立っていたひとりの男が、とんきょうな声をたてました。
それをきくと、そばに立っていた人たちは、ゾーッと、身の毛がよだつような気がしました。いかにもそれは人間の、いや、悪魔の顔だったからです。百メートル四方もあるような、とほうもなく巨大な悪魔の顔が、みんなの頭の上から、おさえつけるように、空いっぱいにひろがって、にやにや笑っていたのです。
まっ暗な空に、その悪魔の巨大な顔だけが、ぼーっと白く浮きでているのです。なんて大きな目でしょう。ちょっとしたビルディングほどもある、でっかい目がギョロギョロと光って、ときどき、パチッ、パチッと、またたきをしています。鼻はそれよりも、もっと大きく、口も、おなじように大きいのです。はばが三十メートルもあるような大きな口が、にやにやと笑っているぶきみさは、それを見なかった人には、とても、想像できるものではありません。
深夜の大通りに、「ワーッ。」というような、なんともいえない声が、わきおこりました。あまりの恐ろしさに、人びとがみんなそろって、叫び声とも、うめき声ともわからないような、ふしぎな声をたてたからです。
その声を、うちけすように、またしても、
「ウワン、ウワン、ウワン、ウワン、ウワン、ウワン……。」
そして、空いっぱいの悪魔の顔が、グワッと、その巨大な口をひらきました。ひとつひとつが、一メートルもあるような白い歯があらわれ、その両はしに、するどくとがった巨大なきばが、ニュッとつきだしています。上下の歯のおくには、どす黒いしたが、うねうねと動いているのです。
人びとのあいだから、また「ワーッ。」という、ぶきみなひめいがおこりました。そして、みんな、両手で耳をふさぎ、目をとじて、その場にうずくまってしまいました。あまりに恐ろしくて、見ていられなかったからです。聞いていられなかったからです。
まるで、おいのりでもするように、地面にうずくまったまま、じっとしていました。だれも、逃げだすものはありません。逃げたって、空の悪魔はどこまでも、ついてくるからです。ちょうどお月さまが、いくら走っても、どこまでもついてくるように。
「ウワン、ウワン、ウワン、ウワン、ウワン、ウワン、ウワン……。」
やがて、恐ろしい空の声が、みるみる小さくなり、かすかになって、スーッと、消えていきました。
それでも、人びとは、まだ空を見あげる勇気がありません。まるで、死んでしまったように身動きもしないのです。
しばらくしてから、ひとりの男が、おずおずと目をひらいて、そっと空を見あげました。
「あっ、消えてしまった。みなさん、もう悪魔の顔はなくなりましたよ。」
それを聞くと、みんな目をあいて空を見ました。空はまっ暗で、もう、なんにも見えません。みんなの口から、安心したような「はーっ。」という、ためいきの声がおこりました。そして、人びとは正気をとりもどし、あの空のおばけが、もう一度あらわれないうちにと、それぞれの家庭へいそぐのでした。
読者諸君、いったい、これはどうしたことなのでしょう。その夜、渋谷の大通りを歩いていた人びとが、みんなそろって、夢を見たのでしょうか。それとも魔法にかかったのでしょうか。百メートルもあるような大きな顔が、空の雲の中にあらわれるなんて、そんなばかなことが、おこるはずがないではありませんか。
しかし、夢でも、魔法にかかったのでもありません。あの空のおばけは、渋谷のぜんたいの人が、見ていたのです。夜中に目をさまして、窓から空をのぞいた人は、みんな、あれを見ていたのです。
このふしぎなできごとのわけは、やがてわかるときがきます。「ウワン、ウワン。」という声の出どころも、わかってくるのです。しかし、それは、もうすこしあとのお話です。それまでに、みなさんも、ひとつ、そのわけを考えてみてください。
このふしぎなできごとは、あくる日の新聞に、でかでかと書きたてられました。写真はとらなかったとみえて、出ておりませんが、画家が写生しゃせいした天空の悪魔の顔が、大きくのっておりました。それが、全国の新聞にのったものですから、この怪事件は、日本じゅうのうわさの種になったのです。
新聞は、三日前の夜の銀座のできごとと、関係があると書いていましたが、だれしも、そう感じました。巨大な黒いかげや、空いっぱいの白い顔の事件には、なにかしら、えたいのしれない悪念あくねんがこもっているのを感じました。
しかし、その悪念がどんなものだかは、まったくわかりません。明智探偵がいったように、なにか恐ろしい事件のぜんちょうだろうと、想像するばかりで、それが、どんな恐ろしい事件なのか、だれにもわからないのでした。
それからまた五日ほどたったとき、こんどは、まっ昼間、またしても、えたいのしれない気味のわるいできごとがおこりました。
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09/27 17:33
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