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魔术师-早業(1)
日期:2023-09-20 13:49  点击:240

早業(はやわざ)


 妙子が帰宅してから三日目の午後、突然、今度は明智の所へ、東京の波越警部から電話が掛って来た。波越氏は読者も知る、警視庁刑事部名うての鬼刑事だ。
 受話器を取ると、波越氏のあわただしい声が手短かに挨拶をして、用談に入った。
「詳しいことはいずれ御目にかかって御話しますが、僕の知合いの福田得二郎(ふくだとくじろう)という実業家の所に妙な事件が起って、福田氏から是非(ぜひ)あなたの御援助を得たいというのです。電話で至急御帰京を願ってくれという福田氏の依頼なんです。事件の内容は一口では云えないが、決してあなたを失望させる様なもんじゃない。僕も、これは警察よりは(むし)ろあなたの領分に属する仕事だと思っている位です。非常に変てこな事件なんです。引続きで御苦労ですが、福田氏に代って僕からも御願いします。出来るなら今晩こちらへ着く様にして下さい」
折角(せっかく)ですが、探偵の仕事は当分御休みです」明智はぶっきら棒に答えた。「長い旅行で疲れていた所へ、蜘蛛男で、ヘトヘトになっているんです。もう少し休ませて下さい」
「それは困る」警部の声が本当に困ったらしく響いて来た。「あなたが来て()れないと、福田氏が失望するばかりじゃありませんよ。実はあなたがそこにいられることは、玉村妙子さんの口から分ったのです。妙子さんも是非あなたに相談相手になって頂き()いという依頼なんですよ」
「何ですって、妙子さん? 妙子さんは知っていますが、あの人が今度の事件に関係でもあるのですか」
 明智は妙子の名を耳にすると、(にわ)かに意気込んで(たず)ねた。
「大有りですよ。云い忘れましたが福田氏は妙子さんのお父さんの玉村善太郎(ぜんたろう)氏の実弟なんです。つまり妙子さんにとっては叔父(おじ)さんに当る(わけ)です」
「アア、そうでしたか。妙子さんとはここに滞在中御心安くしていたのですが、あの人の叔父さんでしたか」
「そうですそうです。そんな御縁もあることだからという、福田氏の頼みなんですよ。どうです。何とか都合(つごう)をして帰ってくれませんか」
「エエ、よござんす」明智は子供の様に現金(げんきん)である。そんなことを恥しがったり、もじもじしたりしていない。妙子さんの頼みなら、いつでも帰りますと云わぬばかりだ。
「時間は、そうですね、エエと、こちらを二時十分に出て、上野へ七時半の汽車があります。それに極めましょう」
 波越警部はこの快い承諾にやや面喰(めんくら)いながら、でもひどく満足そうに、
「有難う。福田氏も喜ぶことでしょう。その時間を伝えて、福田氏の方から上野まで迎えの車をさし向けることにします。では、どうか間違いなく」と念を押した。
 電話を切ると、明智はソワソワと出発の支度(したく)を始めた。支度といっても、トランク一つの旅だ、手間暇(てまひま)はかからぬ。寝間着(ねまき)と汚れたシャツ類を、トランクに詰め込んで、勘定(かんじょう)を支払えばよいのだ。汽車の時間には充分間に合った。
 車中別段のお話もない。彼はただ妙子のことを思っていた。彼女の罌粟(けし)の花の様な笑顔や、歌の様に甘い声を、汽車の動揺につれて目と耳に繰返した。彼は又、彼女が最後の日に舟の上で話しかけた、夢の様な恐怖を思出した。「やっぱり彼女の予感が当ったのかも知れない」と思うと、まだ片鱗(へんりん)をさえ聞かぬ、事件そのものにも、不可思議な興味を覚えた。
 七時三十分列車は上野駅に到着した。
 改札口を出ると、そこに自動車の運転手が待ち受けていた。明智の顔は新聞で御馴染(おなじみ)になっているので、間違いはない。
「福田から御迎えでございます」
 運転手は現代の英雄に対する大衆的尊敬を(もっ)て、うやうやしく云った。
「アア、御苦労さま。車はどれだね」
 明智は気軽に応じた。
「こちらでございます」
 運転手は先に立って自動車置場へ案内した。
 この場合明智の方に手抜(てぬか)りがあったとは云えぬ。彼が今上野駅へ到着する事は、波越警部と、福田氏とが知っているばかりだ。この自動車が偽物(にせもの)だなどとは、神様だって想像も出来なかったであろう。それに車も実業家の持物らしく立派(りっぱ)だし、運転手助手の服装も整っていた。()いて云うならば、彼等両人が揃いも揃って大きなロイド眼鏡(めがね)をかけていたこと、自動車に福田家の定紋(じょうもん)が見当らなんだこと、この二点を疑えば疑うのだが、運転手に(ちり)よけのロイド眼鏡はあり勝ちのことだし、定紋の方は明智はまるで知らなかったのだから致方(いたしかた)もない。

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