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魔术师-断頭台
日期:2023-09-20 14:12  点击:321

断頭台


 薄暗い階段を昇りながら、ふとあることに思い当ると、流石豪胆(ごうたん)な一郎も、思わずゾッとして、腰のポケットに用意していたピストルを握りしめた。
 白昼とは云え、場所は不気味な幽霊塔だ。薄暗い幾曲りの階段、頂上の文字盤の裏には、見通しの利かぬ複雑な機械室、人間一人隠れる場所はどこにだってある。若しや、あの文字盤の貼紙は賊のトリックではあるまいか。それにつられて昇って来る犠牲者を、塔中の暗闇に(よう)して殺害しようという、恐ろしい企らみではないだろうか。
 併し、強情我慢の一郎は、おびえて引返す様なことはしなかった。彼はピストルを胸の前に構え、一段昇る毎に、前後を見廻しながら、注意深く進んで行った。
 今にも、今にもと、寧ろ敵の襲撃を待構える気持だったが、案外別段のこともなく、頂上の機械室に達した。
 機械室は小工場といってもよい程の大がかりなものである。ギリギリと()み合っている巨大な歯車の群、この室の心臓とも云うべきゼンマイ仕掛けを包んだ、べらぼうに大きな鉄の箱、鉄の柱、鉄の腕木、鉄の心棒、それらによって作られた複雑極まる陰影。頭の上には、直径三尺もある大振子(おおふりこ)が、金属性のキシリを立て、ゆっくりゆっくりと左右に揺れている。
 一郎はその機械室の一隅に立って、じっと息を殺し耳をすました。彼は鉄砲玉の様に飛びついて来る怪物を予期して、一瞬たりともピストルの手をゆるめなかった。だが、いくら待っても、何の変ったことも起らぬ。機械のまわりをグルッと廻って見たが、どこの隅にも、怪しいものの影はない。
 やや拍子抜(ひょうしぬ)けの(てい)である。彼はさい前からの臆病過ぎた用心が恥しくなって、苦笑しながらピストルをポケットに入れ、文字盤の裏へ近づいた。
 彼の頭の辺に、シャフトといった方がふさわしい様な、恐ろしく太い時計の針の心棒が横わり、その下の、丁度彼の胸のあたりに、俗に幽霊塔の目と云われている、大きな二つの穴が開いている。これは別段さしたる用途もないのだけれど、ボンボン時計のネジを捲く二つの穴になぞらえて、装飾旁々(かたがた)機械室に光線を取る為に開けてあるのだ。
 一郎は例の貼紙が、裏側から見て左の方の穴の真下に当ることを記憶していた。彼はその穴から首を出して、貼紙の位置を見定め、次に右手を穴の外へ出来る丈け伸ばして、それをはがそうとした。だが、残念なことに、もう少しのことで手が届かぬ。棒切れでもないかと機械室を見廻したが、適当な品も見当らぬ。
 彼はどうしたものかと思案しながら、一寸の間、ボンヤリそこに佇んでいたが、突然、彼の様子が変った。何かしら非常に恐ろしいものに出くわした様に、身体を固くして、物凄く見開いた目で、空間の一箇所を睨みつめた。彼は全神経を耳に集中しているのだ。何か奇妙な音が聞えるのだ。
 大振子のキシリではない。確かに笛の()だ。あの怪物の兇行につきものの、物悲しい笛の調べだ。
 アア、今兇行が行われようとしている。だが、何所(どこ)で、誰に。あり得ないことだ。家族の内の誰が屋根なんぞへ上っているものか。屋根の上には犠牲者はいないのだ。それにも(かかわ)らず、笛の音は明かに塔の外の屋根の上から響いて来る。
 彼は笛の主を見る為に、文字盤の穴から首を出して、下の方に見える西洋館の屋根を眺めた。だが、そこには人の影もない。恐らく怪物は時計塔の裏側にいるのであろう。笛の音色によって想像するに、奴は屋根の上をあちこちと這い廻っているらしい。今にこちら側へ現われるかも知れぬ。どうかして一目、怪物の姿を見たいものだと、彼は長い間穴の外へ首を突き出していた。
 ところが、そうしている間に、()つて聞いたこともない滑稽(こっけい)な、併し同時に身の毛もよだつ程恐ろしい事柄が起った。
 一郎は少し前から(くび)のうしろに、妙な圧迫を感じていたが、屋根に気をとられて、それが何であるかを考える余裕がなかった。だが、その圧迫感は、やがて、ジリジリと、不気味な鈍痛に変り、はては、耐え難き痛みとなった。
 最初は何が何だか訳が分らなかった。怪物が上の方から彼の油断を襲ったのではないかと、一時はギョッとしたが、頸を圧えているものは、何かしら非人間的な、機械的な物体であることが感じられた。
 彼は申す(まで)もなく、首を引込めようとした。だが、もう遅かった。見えぬ物体の為に圧迫され、顎が穴の縁につかえて、どうもがいても、首を引出すことは出来なかった。
 頸の痛みは刻一刻増すばかりだ。その時、やっと、彼を苦しめている物体が何物であるかということが分った。彼は笑い出した。真底からおかし相に笑い出した。世の中にこんな滑稽なことがあるだろうか。彼の首を押えていたのは、大時計の針であった。
 針といっても、長さ一間、(はば)一尺もある鋼鉄製の(つるぎ)だ。その楔型(くさびがた)の鋭くなった一端が、彼の頸の肉にジリジリと喰い入っているのだ。
 彼は頸に力を入れて、その針を押上げようとした。だが、大ゼンマイの力は、存外強かった。針はビクとも動かぬ。力を入れれば入れる程、頸の肉がちぎれる様に痛むばかりだ。
 吹き出し度い程馬鹿馬鹿しい出来事だった。しかし、哀れな人間の力には、この巨大なる機械力を、どう喰い止めるすべもないのだ。
 余りの不様(ぶざま)さ恥しさに、助けを求めることを躊躇(ちゅうちょ)している間に、大振子の一振り毎に、針は遠慮なく下って来た。最早や耐え難い痛みだ。
 彼は叫び出した。三十歳の洋行帰りの紳士が、時計の針にはさまれて悲鳴を上げた。だが、叫んでも叫んでも、誰も救いに来るものはなかった。彼が時計塔へ昇ったことは誰も知らぬ。仮令この大空の悲鳴が階下の人々に聞えたとしても、まさか、そんな所に苦しんでいる人間があろうとは、想像もしないであろう。
 遙か地上を眺めても、その辺に、人影はない。見張りの刑事達のいる表門裏門は、屋根が邪魔になってここからは見えぬ。塀の外は二三丁の間人家もない丘陵だ。
 耳をすますと、怪しい笛の音は、いつかバッタリやんでいた。あの笛は彼を穴から覗かせるトリックに過ぎなかったのだ。賊はこうなることを、ちゃんと見極めていたのだ。そして、目的を果して、いずれかへ立去ってしまったのだ。
 アア、時計の針の断頭台。何という奇怪な、魔術師といわれる悪魔にふさわしい思いつきであったろう。鋼鉄製の剣には、心がないのだ。慈悲(じひ)(なさけ)もないのだ。それは文字通り、時計の針の正確さで、そこに介在(かいざい)する人間の首などを無視して、秒一秒下へ下へと下って来るのだ。
 叫び続ける一郎の顔は、頸動脈(けいどうみゃく)を圧迫されて、醜くふくれ上って来た。髪は逆立ち、血走った両眼は開く丈け開いて、今にも飛び出し相に見えた。
 ミリミリと頸骨が鳴った。圧迫された気道は已に呼吸困難を訴え始めた。最早や叫ぶ力も失った。断末魔は数秒の後に迫っている。
 その最後の土壇場で、彼の飛び出した目が、すぐ下に貼りつけてある紙片の文字を読んだ。そこには()の様に記してあった。

午後一時二十一分


 アア、何という皮肉。賊は犠牲者が命を終る正確な時間を、そこに記して置いたのだ。何故といって、時計の長針が、覗き穴の上を通過するのが、丁度二十一分に当るのだから。

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09/26 03:26
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