××観音は、東京でいえばまあ浅草といった所で、境内に色々な見世物小屋がある。劇場もある。それが田舎丈けに、一層廃たい的で、グロテスクなのだ。今時そんなことはないが、当時僕の勤めていた学校は、教師に芝居を見る事さえ禁じていた。芝居ずきの僕は困ったがね。でも首になるのが恐しいので、なるべく禁令を守って、この××観音なぞへは滅多に足を向けなんだ。随って、そこにどんな芝居がかかっているか、見世物が出ているか、ちっとも知らなかった。(当時は芝居の新聞広告なんて殆どなかった)で、Rがこれだといって、ある劇場の看板を指した時には非常に珍しい気がしたものだよ。その看板がまた変っているのだ。
新帰朝百面相役者××丈出演
探偵奇聞「怪美人」五幕
涙香小史のほん案小説に「怪美人」というのがあるが、見物して見るとあれではない、もっともっと荒唐無けいで、奇怪至極の筋だった。でもどっか、涙香小史を思わせる所がないでもない。今でも貸本屋などには残っている様だが、涙香のあの改版にならない前の菊版の安っぽい本があるだろう。君はあれのさし絵を見たことがあるかね。今見直すと、実に何ともいえぬ味のあるものだ。この××丈出演の芝居は、まあ、あのさし絵が生きて動いているといった感じのものだったよ。
実に汚い劇場だった。黒い土蔵見たいな感じの壁が、半ばはげ落ちて、そのすぐ前を、蓋のない泥溝が、変な臭気を発散して流れている。そこへ汚い洟垂れ小僧が立並んで、看板を見上げている。まあそういった景色だ。だが絵看板丈けはさすがに新しかった。それがまた実に珍なものでね。普通の芝居の看板書きが、西洋流の真似をして書いたのだろう、足が曲った紅毛へき眼の紳士や、身体中ひだだらけで、馬鹿に顔のふくれ上った洋装美人が、様々の恰好で、日本流の見えを切っているのだ。あんなものが今残っていたら、素敵な歴史的美術品だね。
湯屋の番台の様な恰好をした、無蓋の札売り場で、大きな板の通り札を買うと、僕等はその中へはいって行った。(僕はとうとう禁令を犯した訳だ)中も外部に劣らず汚い。土間には仕切りもなく、一面に薄よごれたアンペラが敷いてあるきりだ。しかもそこには、紙屑だとかミカンや南京豆の皮などが、一杯にちらばっていて、うっかり歩いていると、気味の悪いものが、べったり足の裏にくっつく、ひどい有様だ。だが、当時はそれで普通だったかも知れない。現にこの劇場なぞは町でも二三番目に数えられていたのだからね。
はいって見るともう芝居は始まって居た。看板通りの異国情調に富んだ舞台面で、出て来る人物も、皆西洋人臭いふん装をしていた。僕は思った、「これは素敵だ、流石にRはいいものを見せて呉れた」とね。なぜといって、それは当時の僕達の趣味にピッタリ当はまる様な代物なんだから。……僕は単にそう考えていた。ところが、後になってわかったのだが、Rの真意はもっともっと深い所にあった。僕には芝居を見せるというよりは、そこへ出て来る一人の人物即ち看板の百面相役者なるものを観察させる為であった。
芝居の筋もなかなか面白かった様に思うが、よくは覚えてないし、それにこの話には大して関係もないから、略するけれど、神出鬼没の怪美人を主人公にする、非常に変化に富んだ一種の探偵劇だった。近頃は一向流行らないが、探偵劇というものも悪くないね、この怪美人には座頭の百面相役者がふんした。怪美人は警官その他の追跡者をまく為に、目まぐるしく変装する。男にも、女にも、老人にも、若人にも、貴族にも、賎民にも、あらゆる者に化ける。そこが百面相役者たるゆえんなのであろうが、その変装は実に手に入ったもので、舞台の警官などよりは、見物の方がすっかりだまされて終うのだ。あんなのを、技神に入るとでもいうのだろうね。
僕がうしろの方にしようというのに、Rはなぜか、土間のかぶりつきの所へ席をとったので、僕達の目と舞台の役者の顔とは、近くなった時には、殆ど一間位しか隔っていないのだ。だから、こまかい所までよく分る。ところが、そんなに近くにいても、百面相役者の変装は、ちっとも見分けられない。女なら女、老人なら老人に、なり切っているのだ。例えば、顔のしわだね。普通の役者だと、絵具で書いているので、横から見ればすぐばけの皮が現れる。ふっくらとしたほおに、やたらに黒い物をなすってあるのが、滑稽に見える。それがこの百面相役者のは、どうしてあんなことが出来るのか、本当の肉に、ちゃんとしわがきざまれているのだ。そればかりではない。変装する毎に、顔形がまるで変って了う。不思議で堪まらなかったのは、時によって、丸顔になったり、細面になったりする。目や口が大きくなったり小さくなったりするのは、まだいいとして、鼻や耳の恰好さえひどく変るのだ。僕の錯覚だったのか、それとも何かの秘術であんなことが出来るのか、未だに疑問がとけない。