三
「変だな」と気がついたのは、御婚礼から丁度半年ほどたった時分でございました。今から思えば、あの時、門野の力が、私を可愛がろうとする努力が、いたましくも尽きはててしまったものに相違ありません。その隙に乗じて、もう一つの魅力が、グングンとあの人を、そちらの方へひっぱり出したのでございましょう。
男の愛というものが、どの様なものであるか、小娘の私が知ろう筈はありません。門野の様な愛し方こそ、すべての男の、いいえ、どの男にも勝った愛し方に相違ないと、長い間信じ切っていたのでございます。ところが、これほど信じ切っていた私でも、やがて、少しずつ少しずつ、門野の愛に何とやら偽りの分子を含むことを、感づき初めないではいられませんでした。……………………そのエクスタシイは形の上に過ぎなくて、心では、何か遙なものを追っている、妙に冷い空虚を感じたのでございます。私を眺める愛撫のまなざしの奥には、もう一つの冷い目が、遠くの方を凝視しているのでございます。愛の言葉を囁いてくれます、あの人の声音すら、何とやらうつろで、機械仕掛の声の様にも思われるのでございます。でも、まさか、その愛情が最初から総て偽りであったなどとは、当時の私には思いも及ばぬことでした。これはきっと、あの人の愛が私から離れて、どこかの人に移りはじめたしるしではあるまいか、そんな風に疑って見るのが、やっとだったのでございます。
疑いというものの癖として、一度そうしてきざしが現れますと、丁度夕立雲が広がる時の様な、恐しい早さでもって、相手の一挙一動、どんな微細な点までも、それが私の心一杯に、深い深い疑惑の雲となって、群がり立つのでございます。あの時の御言葉の裏にはきっとこういう意味を含んでいたに相違ない。いつやらの御不在は、あれは一体どこへいらしったのであろう。こんなこともあった、あんなこともあったと、疑い出しますと際限がなく、よく申す、足の下の地面が、突然なくなって、そこへ大きな真暗な空洞が開けて、はて知れぬ地獄へ吸い込まれて行く感じなのでございます。
ところが、それほどの疑惑にも拘らず、私は何一つ、疑い以上の、ハッキリしたものを掴むことは出来ないのでございました。門野が家をあけると申しましても、極く僅の間で、それが大抵は行先が知れているのですし、日記帳だとか手紙類、写真までも、こっそり調べて見ましても、あの人の心持を確め得る様な跡は、少しも見つかりはしないのでございます。ひょっとしたら、娘心のあさはかにも、根もないことを疑って、無駄な苦労を求めているのではないかしら、幾度か、そんな風に反省して見ましても、一度根を張った疑惑は、どう解こうすべもなく、ともすれば、私の存在をさえ忘れ果てた形で、ぼんやりと一つ所を見つめて、物思いに耽っているあの人の姿を見るにつけ、やっぱり何かあるに相違ない、きっときっと、それに極っている。では、もしや、あれではないのかしら。といいますのは、門野は先から申します様に、非常に憂鬱なたちだものですから、自然引込思案で、一間にとじ籠って本を読んでいる様な時間が多く、それも、書斎では気が散っていけないと申し、裏に建っていました土蔵の二階へ上って、幸いそこに先祖から伝わった古い書物が沢山積んでありましたので、薄暗い所で、夜などは昔ながらの雪洞をともして、一人ぼっちで書見をするのが、あの人の、もっと若い時分からの、一つの楽みになっていたのでございます。それが、私が参ってから半年ばかりというものは、忘れた様に、土蔵のそばへ足ぶみもしなくなっていたのが、ついその頃になって、又しても、繁々と土蔵へ入る様になって参ったのでございます。この事柄に何か意味がありはしないか。私はふとそこへ気がついたのでございました。