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生地獄(1)
日期:2023-10-02 23:49  点击:321

生地獄


 皆さん。今までその点に触れる機会がなかったが、わしはとっくに世を去った、一匹の幽鬼に過ぎないのだ。この世に籍のない死人に過ぎないのだ。なぜといって、わしは一旦は本当に死んでしまって、誰もそれを疑わなかったからだ。生き返りはしたけれど、わしは大牟田敏清と名乗って再び人前に出なかったからだ。
 今のわしは、年齢(とし)は左程でもないのに、濃い髪の毛が一本残らず、銀の針みたいな白髪(しらが)になっている。それはわしが、一度死んで、地獄の底から生き返って来た、一つのしるしである。つまりわしは、あの時以来、一匹の白髪の鬼と化し去ったのだ。
 では、どうして死ぬ様なことになったのか。又しても大病にとりつかれたのか。イヤイヤそうではない。病気ならあきらめ様もあるけれど、わしのは、あきらめてもあきらめ切れぬ、余りに馬鹿馬鹿しいあやまちが死因となったのだ。
 それを、これから話そう。
 瑠璃子が邸に帰って間もなく、わしは何がなしにじっとしていられぬ嬉しさに、ある日川村の提議で、三人連れ立って、近郊の地獄谷という所へ、遠足を試みた。
 地獄谷というのは、S市を訪ずれた人は一度は見物に行く名所で、S市の南を流れるG川の上流、都会近くには珍らしい、深山の趣きある谿谷(けいこく)だ。そそり立つ断崖の(あいだ)を、青々とした谿流(けいりゅう)が、様々の形の岩に激して、泡立ち渦巻きながら流れている。両側の山々には、春は桜、秋は紅葉が美しく、その季節には、(ふくべ)をさげた遊山客が、断崖の上の細道を、蟻の行列みたいに続くのだ。
 わし達の行ったのは、桜の季節も過ぎた晩春の頃であったから、遊山客の影もなく、非常に淋しかったが、静かな谿谷の気分を味わうには、(かえっ)て好都合であった。
 両側の山にはさまれた、広い帯の様な空は、一点の雲もなく、底知れぬ青さに晴渡っていた。山道にはうらうらと陽炎(かげろう)がゆらぎ、若葉の薫りはむせ返る様。谷間に(こだま)する冴え返った小鳥の声も楽しかった。
 地獄谷の最も景色のよい所に、地獄岩という恐ろしい岩が(そび)えていた。その岩に昇って、とっぱしから、下の谿流を覗き下した景色は何とも云えぬ美しさだが、その代りには、地獄岩の名称にそむかず、(はなは)だ危険なので、滅多に昇る人もない。
 だが、わしと川村とは、結婚以前、ここへ遊びに来た折、地獄岩に昇ったことがある。昇って見れば、下から見た程危いこともなく、二人はその突端(とっぱし)に立って、向う側の山に向って、大声に万歳を叫んだものだ。
 わし達三人は、その昔馴染の地獄岩の根元にたどりついた。
「君、いつかの様に、ここへ昇って見る元気があるかい」
 川村は、妻の愛におぼれ(きっ)ているわしを、冷かす様に言った。
「つまらない真似は止そう」
 わしは瑠璃子の為に、臆病になっていた。
「ハハハ……、奥さんを貰うと、そんなになるものかねえ」
 川村は笑って、単身岩の上にかけ上った。
「アア、実に美しい。奥さん、あなたも昇って見ませんか」
 彼は、岩の頂から、ほがらかに呼びかけた。
「駄目よ。あたしなんか(とて)も……」
 瑠璃子は、(うらやま)(そう)に、空に突っ立つ英雄の姿を見上げて答えた。
 わしは不愉快であった。瑠璃子は川村の勇気を賞讃し、昇りかねているわしを、ひそかに軽蔑している様に感じられたからだ。恋は人を愚にするとはよく云った。わしはただ、愛する瑠璃子の前で、川村に負けたくないという、子供みたいな競争心から、とうとう地獄岩に昇って見る気になった。

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09/25 17:13
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