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暗黒世界(1)
日期:2023-10-02 23:49  点击:300

暗黒世界


 皆さん、人間の本能というものは恐ろしい。棺の中にいると悟ると、わしの手足に、死物狂いの怪力が、湧くが如くに集まって来た。必死の時には、必死の力が出るものだ。今この棺を破らねば、折角(せっかく)甦ったわしの命は、一時間も、三十分も、いや十分でさえ保たぬ。棺内の酸素が殆どなくなっていたからだ。わしは、水を離れた(ふな)の様に、口をパクパクやりながら、窒息して死んでしまわねばならぬからだ。
 わしは頑丈な棺の中で、猛獣の様に跳ね廻った。だが、なかなか板は破れぬ。その内に空気は益々乏しくなり、息がつまるばかりか、目は眼窩(がんか)の外へ飛び出すかと疑われ、鼻から口から、血潮が吹き出す程の苦しさだ。
 わしはもう、無我夢中であった。板を破るか、我身が砕けて死ぬかだ。空気の欠乏の為に、ジリジリと死んで行くより、一思いに砕け死ぬのが、どれ程ましか知れぬとばかり、わしは死物狂に荒れに荒れた。
 すると、アア有難い。棺の蓋がメリメリと破れる音がしたかと思うと、刃物の様な鋭い空気が、スーッと吹入って、冷たく頬に当った。アア、その空気の(うま)かったこと。
 あんた方は、空気がどんなにおいしいものだかをご存じあるまい。わしの様な目に会って見ると、それがハッキリ分るのだ。
 わしは鼻も口も一杯に開いて、肺臓に吸い込める丈け、そのうまい空気をむさぼり吸った。吸うに従って、身も心もシャンとして来た。本当に蘇生したという感じがした。
 そこで、わしは板の割目に手をかけて、力まかせに、推し破った。今度はもう大して骨が折れぬ。とうとう棺の蓋をはねのけてしまった。
 無論わしは棺の中から飛び出した。飛出すと同時に、何とも分らぬひどい地響きがして、わしの頭から、何か固いものがバラバラと降って来た。棺を飛び出した拍子にどうかして砂か小石でも落ちて来たのであろうと、わしはさして怪しまなんだが、あとで考えて見ると、このひどい音を立てて落ちて来たものが、わしの生涯に実に重大な関係を持っていたことが分った。それがなかったら、わしもこんな重罪犯人にならないで済んだかも知れない程の、一物であった。
 さて、外に飛出して見て、わしは意外な気がした。棺の中から易々(やすやす)と飛び出し得たことが、(すで)に不思議なのだ、若し土の中に埋めてあったら、仮令(たとえ)棺を破っても、上から土が落ちて来て、推しつぶされてしまう筈だ。変だぞ。それではわしの棺はまだ墓場に埋めないで、どこかに置いてあったのかしら。うまいうまい、わしはとうとう助かったのだ。このまま家へ帰りさえすればよいのだ。
 だが、この暗さはどうしたものだ。まるで空気そのものを墨で染めた様に真暗(まっくら)だ。
 待て待て、手さぐりで、大体様子が知れるだろうと、わしは盲目の様に、両手を一杯に伸ばして、さぐり足で歩き始めた。
 壁がある。だが、何という粗雑な壁だろう。まるで石垣みたいだ。壁を伝って(しばら)く行くと、ヒヤリと冷い鉄の板にぶつかった。さぐって見ると、どうやら扉らしい。非常に大きな、頑丈な扉だ。
 変だぞ。わしは一体全体どこにいるのだろう。
 アア、分った。わしは何という馬鹿な思い違いをしていたのだ。わしの家の墓場は、普通の土の中ではなくて、昨日もお話しした通り、その地方で「殿様の墓」と云われている、西洋風の石室だ。小山の中腹を掘って、石を積み重ね、漆喰で固めた、一種の穴蔵なのだ。そこに、先祖代々の棺が安置してあるのだ。
 と悟ると同時に、わしは、余りの恐ろしさに、ゾッと身震いした。もう駄目だ。とても二度と娑婆(しゃば)の光を見る望みはない。
 棺は破って破れぬものでない。だが、この穴蔵は一人や二人の力では、絶対に破る見込みがないのだ。コンクリートの地下室同然の穴蔵が、どうして破れるものか。たった一つの入口は、厚い鉄扉でとざされ、外には頑丈な錠前がついている。
 だが待てよ。若しかしたら、錠をおろすのを忘れていないとも限らぬぞ。
 わしは、その扉を力の限り押し試みた。身体全体でぶつかって見た。だが、ゴーン、ゴーンと不気味な反響が起るばかりで、扉はビクともしない。やっぱり錠がおりているのだ。
 望みは絶えた。
 わしの一家に死人でもない限りは、五年、十年、或は二十年、この扉が開かれる見込みは絶えてない。
 アア、神様、あんたは何というむごいことをなさるのだ。なぜわしを甦らせて下すったのだ。一度生かせて置いて、更らに殺しなおすお積りですか。死の苦しみを二度()めさせてやろうという訳ですか。
 しかも、今度の死は、崖から落ちる様な楽なものではない。飢え死だ、ジリジリと、一()ずつ、一寸ずつ、命をけずられるのだ。余りと云えば、むごたらしいなさり方だ。
 わしの生前に、悪業があったのですか。わしは友達を愛した。妻を可愛がった。だが、人間は勿論、虫けらさえも、故なく苦しめた覚えはない。それに、それに、この様な、ためしもない地獄の呵責(かしゃく)を受けなければならぬとは。

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09/25 17:10
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