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暗黒劇場
日期:2023-10-07 14:09  点击:281

暗黒劇場


 その夜、大都劇場の観客は、かつて彼らを有頂天(うちょうてん)にしたいかなる大レビューにもまして、華やかに、物狂わしく、躍動的な、前代未聞の大芝居を、手に汗を握り、胸おどらせながら、(あらし)のごとき激情をもって見物したのであった。
 その大芝居の主役は人間豹と江川蘭子、脇役(わきやく)は蘭子の恋人神谷青年、その他大勢のコーラス・ガールには、制服姿いかめしいおまわりさんたち。
 血のグランド・レビュー、序曲は、江川蘭子(ふん)するところの花売娘が、独唱なかばに、せり出しの台が下降し、突如として舞台上から消えうせるという、異様な場面であった。
 彼らは(はる)かの地底から聞こえてくる、蘭子のゾッとするような悲鳴を耳にした。夾竹桃(きょうちくとう)の咲き乱れた舞台面は、映写機の廻転(かいてん)が停止したように、しばらくのあいだ、ヒッソリと静まり返ってしまった。十数名のコーラス・ガールは、背景の前に横隊を作ったまま、人形のように動かなかった。オーケストラは鳴りをひそめた。ただ、舞台中央にポッカリとひらいたせり出しの穴だけが、悪魔の口のように物恐ろしく目立ってみえた。
 そうして、見物席と舞台とが異様な静寂にとざされていたあいだに、舞台下の奈落(ならく)では、一匹の野獣が麻酔剤に気を失った美しい女優を小脇(こわき)にかかえて、穴蔵の暗闇(くらやみ)の世界を、気ちがいのように走っていた。
 奈落には幾つもの出入口があったが、恩田が目ざすのは、劇場裏手の空き地に抜けている通路であった。彼は道具方を買収して、そこのドアの(かぎ)を手に入れていた。そとの暗闇には部下の自動車が待ち構えているはずだ。
 彼は蘭子の両足を、コンクリートの床に引きずりながら、走りに走ってドアに達した。そして、ドアに手をかけ、一、二寸ひらきかけたかと思うと、彼はハッとしたように又それを閉めてしまった。
 ああ、なんということだ。いったい何が起こったのだ。いつも(さび)しいそのドアのそとに、黒山の人だかりではないか。制服の警官もまじっていた。恩田がドアを細目にひらいたとき、そのすぐ前にギョッとする制服の背中があって、その警官がドアの音を怪しむように振り向きさえしたではないか。あとでわかったのだが、ちょうどそのとき、ドアのそとには酔いどれの喧嘩(けんか)があって、その一人が血を流して倒れていたのであった。
 恩田はもときた道をまた走り出した。そして、電動室の前までくると、そこのおぼろな電燈の下に、彼が買収した道具方の男が立っていた。
「どうしたんです。どこへ行くんです」
 その男が恩田の狂乱のようすを見て、驚いて尋ねる。
「だめだ。あっちからは出られない」
 怪人があえいだ。
「アッ、いけねえ。お聞きなさい、あの足音を。人が来たんだ。一人や二人じゃねえ。早く逃げなくっちゃ」
「だが、どこへ? どこへ逃げればいいんだ」
「だめです。逃げ道なんかありゃしない。あの裏口のほかは、どっちへ行ったって人の山だ」
「じゃあ、君、頼む、上の配電盤室へ行って、電燈を消してくれたまえ。この建物を暗闇にしてくれたまえ。その間に、おれは見物席へまぎれ込むから。お礼は約束の三倍だ」
 最後の手段であった。
「よし、引き受けた。早くこちらへお逃げなさい。舞台裏への近道だ」
 男は言い捨てて、先に立って()け出して行く。恩田は執念深く恋人をかかえたままそのあとを追った。
 舞台ではコーラス・ガールの花売娘たちが、一か所にかたまって、恐怖におののいていた。見物席は総立ちになったまま、不安にざわめいていた。
「幕だ、幕だ」
 どこかで叫ぶ声が、かすかに聞こえてきた。だが、どうしたことか緞帳(どんちょう)はなかなかおりてこないのだ。
 すると、突然舞台が暗闇(くらやみ)になった。
「ああ、幕の代わりに照明を消したんだな」と思う間もあらせず、再びパッと明るくなった。そして、今度は客席の電燈という電燈が、一時に消えてしまった。
 舞台裏から、意味のわからぬ数人の怒号が、入りまじって響いてきた。
 たちまち客席が昼のように明るくなった。舞台効果のために消してあった電燈までが、ことごとく点火されたのだ。
 そして、次の瞬間には、建物全体の電燈が、稲妻のように、無気味な明滅(めいめつ)をはじめた。見物たちの不安な心臓の鼓動と、調子を合わせて、光と闇の目まぐるしい転換がはじまった。
 静まり返っていた見物席に、恐ろしい騒擾(そうじょう)が起こった。劇場当事者をののしる怒号が、合唱のように()き立った。男性のわめき声、女の金切り声、子供の悲鳴。
 電燈がパッとついたときには、何千という人間が、まったく同じニコニコ顔で笑っていた。そのえがおの下から、怒り、(ののし)り、泣き、叫ぶ、千差万別の激情がほとばしるのだ。
 やがて、物の怪のような光の明滅が、パッタリ止まったかと思うと、長い暗闇がきた。巨大な劇場全体が、舞台も、客席も、廊下も、死の暗黒に包まれてしまった。
 見物席の怒号は一そう(はげ)しくなった。
 不安に耐えきれなくなった気の弱い人々、婦人客などは、闇の中を、津波のように木戸口に向かって殺到した。踏みつけられて悲鳴を上げるもの、押し倒されて泣き叫ぶもの、椅子(いす)の倒れる響き、物の裂ける音。
 だが、しばらくすると、その騒擾のただ中に、再び場内は昼のように明るくなった。そして、もう無意味な明滅は繰り返されなかった。
 ふと見ると、まばゆい電光に照らし出された舞台に、異様な人物が立ちはだかっている。
 乱れた頭髪、ドス黒い顔に異様に輝く両眼、まっ赤な(くちびる)のあいだから(のぞ)いて見える(きば)のような白歯、(しわ)だらけになった黒い背広服。
「あいつだっ、あいつが犯人だっ、蘭子をかどわかしたやつは、あの男だっ」
 突如として、見物席の中に、つんざくような叫び声が起こった。一人の青年が、例の仮面をつけたまま客席の通路を舞台目がけて、風のように走っていた。走りながら、なおも叫びつづけた。
「諸君、こいつが、有名な人間(ひょう)だっ、女給殺しの大悪魔だっ」
 それは、見物のあいだにまじって、愛人江川蘭子を見守っていた神谷青年であった。先には弘子を、今またこの新しい愛人を、けだもののために奪われようとして、半狂乱となった神谷芳雄であった。

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09/25 09:34
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