しかし銀造にはそういう景け色しきも眼にうつらなければ、そういう音も耳に入らな
かった。きっと唇をへの字なりに結んだかれの顔は沈痛そのものだった。沈痛の底には悔
恨の憤りも潜んでいた。
かれは黙々として離家から母屋のほうへ帰っていったが、ちょうどその時である。一柳
家から使いがいったと見えて、昨夜川──村の大叔父を送っていった三郎が、顔色をかえて
帰って来たが、その三郎には意外な連れがあった。
その人は三十五、六の、丸顔に美び髯ぜんをたくわえた立派な紳士だったが、糸子刀自
はひとめその顔を見ると眼を瞠みはって呼吸をはずませた。
「まあ、隆二さん、あなたどうしてここへ帰って来たの」
「お母さん、いま源七から聞いたんですが、大変なことがあったそうですね」
その人も驚いている事は驚いているらしかったが、案外落ち着いているようでもあっ
た。
「大変も大変、わたしはどうしていいかわからない。しかし隆二さん、あなたはどうして
帰って来たの。いつ帰って来たの」
「福岡からいま着いたばかりなんです。学会のほうが思いのほか早く済んで兄さんにお祝
いをいおうと思って、さっき清──駅へ着いたばかりなんです。でどんな様子なのか聞こう
と思って、川──村の大叔父さんのところへ立ち寄ったところ、源七がやって来て……」
それまで不思議そうにその人の顔を見守っていた銀造は、この言葉を聞くと、急に大き
く眼を瞠った。そして焦げつきそうな視線でその横顔を見据えていた。この凝視があまり
執しつ拗ようだったので、その人もそれに気がつくと、どこか落ち着かない顔色で糸子刀
自を振り返った。
「お母さん、この方は……」
「ああ、こちらは克子さんの叔父さんですよ。銀造さん、これがうちの次男の隆二です」
銀造は無言のままうなずくと、一同の側を離れて自分の座敷へかえって来た。そしてし
ばらく座敷の中央に突っ立っていたが、やがて一言。
「あの男は噓をついている」
そう呟くとスーツケースの中から頼信紙を取り出した。
そしてちょっと考えた末つぎのような文字を書いた。
克子死ス 金田一氏ヲヨコセ
宛名は自分の妻である。
銀造はその電報を持って自ら川──村の郵便局へ出向いていった。