「警部さん、それです。その写真です」
三郎の指さしたのは名刺型の写真で、すでに変色しかけているうえに、擦すれたりこす
れたりした痕があって、ずいぶんいたんでいた。その前後に貼ってある写真が、ほとんど
賢蔵の手になると思われる素人しろうと写真なのに反して、こればかりは専門の写真屋の
手になったものらしく、入学試験などの場合に、願書に添えて出す写真、ああいった式の
写真だった。写っているのは二十三、四の丸刈りの青年で、金きん釦ボタンのついた詰め
襟の洋服を着ている。
そしてその写真の下にはまぎれもなく「生涯の仇敵」と、唯一言、まぎれもなく賢蔵の
筆蹟で朱の色も黒く変色していた。
「あなたがたはこの写真の主をご存じじゃありませんか」
隆二も三郎も無言のまま首を横にふった。
「三郎さんはこの写真について、賢蔵さんに訊いてみなかったのですか」
「どうしまして。そんなことをすれば、兄さんにどんなに叱られるかわかりません。僕は
そんな写真を見つけた事さえ、兄さんには黙っていたんです」
「生涯の仇敵といえばよくよくの言葉ですが、何か、そんなような事件があったことを、
あなたがたはご記憶じゃありませんか」
「兄は自分の胸のなかを、決してひとに覗かせない人でした。そんな事件があったとして
も、兄はおそらく誰にも喋舌しやべらず、自分一人の秘密として守りつづけていたでしょ
う」
隆二がむずかしい顔をして答えた。
「とにかくこの写真は借りて行きますよ」
警部はその写真をはがそうとしたが、べったりと糊で貼りつけてあるので、なかなかは
がされそうにもなかった。無理にはがそうとすると、写真を傷つけるおそれがあるので、
警部は鋏で台紙ごと切り抜くと、それを丁寧に手帳のあいだにはさんだ。
総──町の警察署で捜査会議がひらかれたのは、その晩のことではなかったかと思う。
私は捜査会議がどういうふうに行なわれるものかよく知らないし、F医師の手記もその
辺のところは又聞きであったと見えて、要領を書き記すにとどめているが、それはだいた
いつぎのような情景であったろうと思われる。
「……で、焼き捨てられた日記ですが、それについてはこういう事がわかりました」
むろんそれは磯川警部の発言である。
「昨日の夕方、婚礼のはじまる少しまえに、新家の秋子が賢蔵を探して離家へ行ったこと
は前にも申しましたね。その時賢蔵は離家の雨戸をしめておくよう秋子に頼んでおいて、
一足さきに離家を出ていったのですが、それから間もなく秋子が母屋へかえってみると、
こちらへ来ている筈の賢蔵のすがたが見えない。そのうちに時間はしだいに切迫して来る
し、隠居の糸子刀自はやいやい言い出す。そこで秋子が家のなかを探してあるくと、賢蔵
は書斎のストーヴのまえで、何か燃やしていた……と、いうのです」
「なるほど。すると日記を焼き捨てたのは賢蔵自身だったという事になるんだね」
署長がそう念をおした。
「そうです。そうです。結婚のまえに古い日記や手紙の類を焼き捨てるということはよく
あることですが、それにしても式のはじまる直前にそれをやったというところに一つの意
味があると思いますね。つまり秋子が離家へ持って来た手帳の切れはしに書いた手紙、そ
れで急に昔のことを想い出して、当時の記録を焼き捨てておく必要をかんじたのでしょう
ね」
「で、これがその日記の燃え殻なんだね」