「足跡の捜索や、指紋の検出は、警察の方にやって貰います。自分はそれから得た結果
を、論理的に分類総合していって、最後に推断を下すのです。これが私の探偵方法であり
ます」
それを読んで銀造は、いつかかれが巻き尺や天眼鏡のかわりに、これを使いますといっ
て、頭を叩いてみせたことを思い出して、思わず会心の微笑をもらしたのであった。
その耕助が一柳家の事件の際、たまたま銀造の家へ来合わせていたというのはこうであ
る。当時、大阪の方にまたむつかしい事件が起こって、耕助はそれの調査のため下阪して
いたのだが、思いのほか事件が早く片づいたので、骨休めかたがた、久しぶりに銀造のも
とへ遊びに来ていたのである。そして銀造と克子を送り出したかれは、銀造が結婚式をす
まして帰って来るまで、ゆっくり遊んでいるつもりでいたところが、今度の事件で、銀造
から電報で出馬を懇請されたのであった。
いったい一柳家のある岡──村と、銀造が果樹園をやっているところとは、さしわたしに
して十里にも足りないみちのりだが、乗り物の都合のわるいところで、ここへ来るために
はいったん玉島線へ出て、そこから山陽線の上り列車に乗り、倉敷で伯備線に乗りかえそ
して清──駅でおりると、そこからまた一里ほど逆に帰らなければならない。銀造や克子も
その道順でやって来たし、耕助も同じ径路を辿たどってやって来たのだが、その耕助が、
高──川を渡って川──村の街道へさしかかったときである。俄にわかに騒がしい叫び声が
きこえたかと思うと、人々が口々に罵ののしり騒ぎながら、くの字なりに曲がった街道の
向こうへ走っていくのが見えた。
何事が起こったのかと思って、耕助も思わず足をはやめていたが、するとちょうど川──
村の町並みのとぎれるあたりで、乗り合い自動車が電柱に乗り上げていて、そのまわりに
大勢人だかりがしているのだった。耕助がそばへ近づいていくと、乗り上げた自動車のな
かから怪我人をかつぎ出しているところだったが、そばにいる人に聞いてみると、向こう
から来た牛車を避けようとしたはずみに、電柱に乗り上げたのであるということだった。
この乗り合い自動車はさっき耕助がおりた清──駅から出るもので、乗客の大半は耕助と
同じ列車でやって来た人々であった。自分もこの乗り合いに乗っていれば、同じ災難に遭
あわねばならぬところであったと、耕助はおのれの幸福を祝福しながら、乗り合いのそば
を離れようとしたが、そのとき中から担ぎ出された婦人の姿が、ふとかれの眼をとらえ
た。耕助はこの婦人に見憶えがあったのである。
前にいったように、その朝早く玉島から上り山陽線に乗った耕助は、倉敷で伯備線に乗
り換えたのだが、その倉敷から同じ列車に乗り合わせたのがこの婦人であった。耕助とは
反対にこの婦人は、下り列車で倉敷までやって来たらしかったが、向かい合わせの席に座
をしめた時、耕助はこの婦人がひとかたならず昂奮しているのに気がついた。
婦人は途中の駅で買ったらしいこの地方の新聞を、いくまいも膝のうえに重ねていて、
むさぼるように読んでいたが、彼女の読んでいる記事が、一柳家の殺人事件であることに
気がついた時、耕助は改めて、婦人の顔を見直さずにはいられなかった。年ごろはたぶん
二十七、八だろう。地味な銘仙の着物に、紫の袴をはいていたが、束髪に結った髪がおそ
ろしく縮れっ毛であるうえに、かなりひどい藪やぶ睨にらみと来ているから、お義理にも
美人とはいいにくかったが、どこか知的なひらめきが見えて、それが眼鼻立ちの醜さを
救っており、全体の感じからいって、女学校の先生というところであった。
耕助はふと、今度の事件の被害者の一人である克子が、女学校の先生であったことを思
い出して、ひょっとするとこの婦人は、克子と何か関係があるのではないかと思った。も
しそれならば、ここで話しかけておけば、何か参考になることを聞き出せるかも知れぬと
思ったが、婦人の様子にどこか人をよせつけぬところがあり、つい、口を切り出しそびれ
ているうちに汽車は清──駅へついてしまった。そこでとうとう耕助は、話しかけるきっか
けを失ってしまったのである。