いま乗り合い自動車のなかから担ぎ出されたのはその婦人であった。しかも、二、三人
ある怪我人のなかで、この婦人がいちばん重いらしく、ぐったりと色を失っているので、
耕助もよっぽどあとからついていこうかと思ったが、その時自動車を取りまいている人々
のあいだで、つぎのような話し声がきこえたので、耕助はまた思いなおして、立ちどまっ
た。その囁ささやきというのはこうである。
「昨夜また一柳さんのお宅に、三本指の男が出たってえじゃないか」
「そうなんだってさ。それでまた警察じゃ今朝から大騒ぎさ。この辺いったいに非常線が
張ってあるというから気をつけな。変な恰好をしてうろうろしてるとつかまるぜ」
「馬鹿をいうな、こっちは、ちゃんと五本の指がそろってるよ。だが、それにしてもいっ
たいどこに隠れているんだろうな」
「久──村へ越す山のなかへかくれているんじゃないかというので、なんでもあの辺じゃ村
の青年団を総動員して山狩りをするというぜ。とにかく大変なこったあね」
「一柳さんの家には何か祟たたりがあるっていうじゃないか。先代の作さく衛えさんだっ
てあんな死に方をするしさ、新家の良介さんの親爺というのも、広島で切腹したという話
があるからね」
「うん、今朝の新聞にもそんな事が出てるね。血に呪のろわれた一家だなんて、……そう
いやあ、あの家には以前から、なんとなく陰気なところがあったね」
ところで川──村の人々がいまいっている「血に呪われた一家」というのは、その朝の地
方新聞に出ていたところなので、耕助もよく知っていたが、それはこうである。
賢蔵たちの兄弟の父作衛という人は、その時分からかぞえて十五、六年まえ、即ち鈴子
がうまれて間もなく死んだが、それはふつうの死に方ではなかった。この人は、日ごろは
いたって温厚な物分かりのいい人物であったが、物に激しやすく、激すると前後の見境い
がなくなるのであった。鈴子がうまれて間もなく、この人は村内のものと田地のことから
争いを起こした。この争いが昂じた揚句、ある晩、作衛は抜き身をひっさげ、相手のもと
へ斬りこんでいった。そして、見事に相手を斬り殺したのはよかったが、自分も深ふか傷
でをうけて、家へ帰って来るとその晩のうちに息を引き取ったのである。
村の故老はこの事件と、この度の殺人事件を結びつけ、更にそれに講談まがいの知識を
付会して、作衛がその時斬りこみに用いた刀は村正であり、賢蔵夫婦が殺されたのも同じ
村正である。一柳家には村正が祟るのだ、というようなことを、まことしやかにいってい
たが、これは間違いで、作衛がその時ひっさげていた刀は村正などではなく、しかもその
刀は作衛氏の事件のあった後、菩ぼ提だい寺じへ納められたという事だし、今度の事件で
犯人が用いた刀は、明らかに貞宗であるという記録が残っている。しかし、新聞が、「血
に呪われた一家」などと騒ぐのも無理のないところで、この作衛という人の弟、即ち新家
の良介の父、隼はや人とというのが、これまた日本刀で、非業の最期を遂げているのであ
る。
この人は軍人を志願して、日露戦争の時には、大尉で広島にいた。ところが部内に起
こった不正事件の責任をおって、日本刀で割腹したのである。この時も、責任を痛感して
の自決は見事にはちがいがないが、まさか割腹するほどの事はなかったであろうというの
が一般の定評だった。そして割腹の原因にしても、部内に起こった不正事件もさることな
がら、些細なことにも大事を惹ひき起こすほど、神経が尖鋭化されていたことのほうが、
より大きな原因だったろうといわれている。つまり一柳家には代々狷けん介かいにして人
を容れない一種劇はげしい性質がつたえられていたのである。
それはさておき、昨夜また、三本指の男が一柳家に現われたというのは、耕助にとって
は初耳だったし、何かまた変わったことでも起こったのではあるまいかと思うと、もうそ
の辺でぐずぐずしているわけにはいかなかった。それでかれは気になる怪我人のことはそ
のままにしておいて、一柳家へ急いだが、それでもかれはその婦人が、木内医院というの
へ担ぎこまれたのを、はっきり見定めておくことを忘れなかった。