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黒猫亭事件--はしがき(2)
日期:2023-11-27 11:08  点击:242

 農家ふうに建っている家のこととて、私の家には玄関などという、気の利いたものはな

い。その代わりひろい土間があって、腰の高い障子がいちまいはまっている。この障子は

とても重くて、あけたてするのに不便だから、日中はあけっぱなしにしてある。土間つづ

きに四畳半があり、その奥が六畳の座敷になっていた。私はいつもこの座敷に寝ているの

だが、胸部に長い痼こ疾しつがあって、開放生活に慣れてしまった私は、いついかなる場

合でも、家中あけっぴろげてある。だから土間へ入って来たひとは、ひとめで奥に寝てい

る私の姿を見通せるわけである。

 それはちょうど黄昏たそがれ時どきのことであった。私はまた微熱が出たらしく、うつ

らうつらとしていたのだが、誰か土間へ入って来た気配に、どしりと寝返りをうち、それ

からあわてて、寝床のうえに起き直った。

 土間に立っているのは、三十五、六の小柄の人物であった。大島の着物に対ついの羽織

を着て、袴はかまをはいていた。無造作に、帽子をあみだにかぶって、左手に二重廻しを

かかえ、右手に籐とうのステッキをついていた。別にどこといって取り柄のない、どっち

かというと、貧相な風ふう貌ぼうの青年であった。着物も羽織も、かなりくたびれている

ようであった。

 私たちは数秒間、まじまじとたがいに顔を見合っていたが、やがて私は寝床のうえか

ら、どなたでしょうかと訊たずねた。すると相手はにやりと笑った。それから、ステッキ

と二重廻しをそこへおくと、帽子をとっておもむろに額の汗をぬぐいながら、おまえがこ

この主人であるかというようなことを訊ねた。その態度があまり落ち着きはらっているの

で、私はいくらか気味悪くなり、いかにも、自分がここの主人だが、そういうおまえは誰

だと、とがめるように重ねて訊ねた。すると相手はまたにやりと笑い、それからすこしど

もるようなくちぶりで、

「ぼ、ぼく──」

 と、名乗りをあげたのだが、それが即ち、金田一耕助であった。

 そのとき私がどんなに驚いたか、そしてまた、どんなに狼ろう狽ばいしたかというよう

なことは、あまりくだくだしくなるから控えるが、しかし、金田一耕助という名が私に

とって、どういう意味を持っているか、それについては一言説明を加えておかねばなるま

い。

 その時分私は、かつてこの村の旧本陣一家に起こった殺人事件を、村の人々から聞きつ

たえるまま、小説に書きつづっているところであった。しかもその小説は当時まだ雑誌に

連載中であった。ところが、その小説──と、いうよりも、その事件の主人公というのが即

ち金田一耕助であった。私はその人に会ったこともなければ見たこともなく、むろん諒解

を得て書いていたわけではなかった。村の人々の語るところを土台として、それにこうも

あろうかという、自分の想像を付け加えて書いていたのに過ぎなかった。その人が突然名

乗りをあげて訪ねて来たのだから、私が驚き、かつ狼狽したのも無理はあるまい。私はう

しろめたさに腋わきの下に冷や汗の流れるのをおぼえた。座敷へとおして初対面の挨あい

拶さつをするときも、かれ以上に口くち籠ごもったりした。

 金田一耕助は私が口籠ったりどもったりするのを、いかにも面白そうににこにこ笑って

見ていたが、やがて、私を訪ねて来たことについて、つぎのように説明を加えた。

 自分はいま、瀬戸内海の一孤島、「獄門島」という島からのかえりだが、その島へ渡る

まえにパトロンの久保銀造のところへ立ち寄った。ところがそこで、自分のことを小説に

書いている人がある、ということをきいて大いに驚いた。自分もその小説を読んだ。そこ

で島へ発たつまえに、雑誌社へ手紙を出して、作者の居所をたずねておいたのだが、島か

らかえってみると雑誌社から返事が来ていたので、そこできょうこうして、

「因いん縁ねんをつけに来たんですよ」

 と、そういって面白そうに笑った。その笑い声をきいて私はやっと落ち着いた。因縁を

つけに来た。──と、そういうくちぶりに、すこしも悪意がかんじられないのみならず、一

種の親しみをおぼえたからである。私は急にずうずうしくなり、あの小説についてどう思

うかと、甘えるように切り出してみた。するとかれはにこにこ笑いながら、いや、たいへ

ん結構である。自分がたいそう、えらい人間みたいに書かれているので光栄に思ってい

る、ただ、慾をいえば、

「もうすこし、ぼくという人間を、好男子に書いて貰いたかったですな」

 はっはっは──と、笑って、かれは頭のうえの雀の巣をめちゃめちゃに搔きまわした。こ

れで要するに、私たちはすっかり打ちとけたのであった。

 その時、金田一耕助は三晩、私のうちに泊まっていったが、そのあいだに話してくれた

のが、最近かれの経験して来た、「獄門島」の事件であった。かれはそれを小説に書くこ

とも許してくれた。つまりかれは公然と、私を自分の伝記作者として認めてくれたわけで

ある。

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