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黒猫亭事件--一(1)
日期:2023-11-27 11:10  点击:250

    一

 この事件の起こったG町というのは、省線電車の環状線を、外側へとおくはずれたとこ

ろにあって、渋しぶ谷や駅でおりてから、もう一度、私鉄にのらなければならないよう

な、へんぴなところにある町である。付近いったい起伏の多いところで、いたるところに

急な坂があり、故老の話によると、九十九坂あるそうである。九十九坂はちと大おお袈げ

裟さとしても、とにかく坂の多いところで、そういう地形のせいか、東京の近郊としては

発展がおくれて、いまから十五、六年まえまでは人家もまれに、まだ多分に武蔵野の面影

をのこしていた。

 ところが、日華事変のはじまる前後から、急に様子がかわって来た。近所に大きな軍需

工場と、それを取りまく下請け工場が出来てから、G町のあたりもにわかに活気を呈しは

じめた。つぎからつぎへと人家がたって、またたくまに九十九坂を埋めてしまった。G駅

付近は、道路がアスファルトで舗装されて、G町銀座と称するところの商店街が出来あ

がった。怪しげな飲み屋やカフェーがいたるところに出現した。こうして、そのかみの殺

風景な武蔵野のあとへ、より以上殺風景で落ち着きのない、ごたごたとした町が出来あ

がったのである。

 戦争中この町が、どう変へん貌ぼうしたか私は知らない。しかし、金田一耕助の送って

くれた、新聞記事などから想像するに、戦災をうけたことはうけたが、潰かい滅めつした

わけではなく、少なくとも、駅を中心とするG町銀座の一劃はのこっているらしい。そし

て、戦災をまぬがれたどの町もそうであるように、このへんも戦後むやみに人がふえて、

戦争前以上に秩序のない、不健全で出たらめな、いかにも敗戦後の日本らしい、繁栄ぶり

を見せているらしい。

 私も知っているが、G町銀座というのは、駅の正面からまっすぐに、西へ三丁ほどつづ

く下り坂で、坂になっているところに趣があった。いわゆる九十九坂のひとつで、昔から

G坂とよばれている。ところが、この表通りから一歩横町、裏通りへ足をふみいれると、

これがたいへんなのであった。

 そこは俗に、G町の桃色ピンク迷路とか、地獄横町とかいわれ、隘せまくて、暗くて、

迷路のように不規則なみちの両側には、夜になると、いたるところに赤い電燈や、菫すみ

れ色いろの電燈がついた。そして、どの家にも、どぎつい化粧をした女が二、三人いて、

夜おそくまで、騒々しい電気蓄音器をかけたり、みだらな声をはりあげて唄うたをうたっ

たり、そしてかわるがわる、男といっしょに、すうっと二階へあがっていったりするので

あった。

 ところで、面白いのは、そういう色情地獄の迷路のなかに、まだ多分に、武蔵野の名な

残ごりがのこっていることで、赤い灯ひのつく酒場の隣に、昔ながらの草くさ葺ぶきの農

家があったり、菫色の灯のつくチャブ屋のうらに、古風な寺や墓地があったりして、それ

がいっそうこのあたりの風景に、複雑怪奇な色彩をそえているのだが、そういう情景は、

戦後のいまも、たいしてちがっていないらしい。これからお話ししようとする事件は、そ

ういう町の一隅で起こった出来事なのである。

 それは昭和二十二年三月二十日、午前零時ごろのことであった。G坂にある派出所詰め

の長谷川巡査が、コツコツとこの桃色迷路を巡廻していた。

 いったい戦後は、こういう盛り場などの取り締まりが、かなり投げやりにされている

が、そこはよくしたもので、交通の不便や、都会の夜の物騒さから、しぜん看板時間など

は、戦争まえより早くなっている。昔ならば午前零時といえば、まだ宵よいの口みたいな

ものだったが、ちかごろでは、もうどの店でも灯を消して寝しずまっている。

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