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黒猫亭事件--五(4)
日期:2023-11-27 11:31  点击:312

 村井刑事はそこでまた話題を転じて、糸島という男が、いつ頃引き揚げて来たか訊ねて

みた。すると風間は意外に正確に、時日から船の名前まで知っていて、

「あの男の引き揚げて来たのは去年の四月で、船はY丸、博多へ入港したんです、お繁が

かえって来たのは、一昨年の十月だから、半年おくれたわけですね。わたしがなぜ、そん

なに正確に知っているかというと、わたしの識り合いで、糸島とおなじ船で引き揚げて来

た男があるんです」

 村井刑事はそれをきくと、思わず胸を躍らせた。そこでその識り合いというのを紹介し

て貰えぬか、というと、風間はちょっと、驚いたように刑事の顔を見なおしたが、

「ああ、そうそう、鮎子という女も、その船に乗っていたんでしたね。ええ、ようがすと

も」

 風間は名刺の裏に紹介の文句を、さらさら書くと刑事に渡して、

「刑事さん、今度の人殺しについちゃ、わたしは全然関係ありません。しかし、自分でも

気のつかないところで、何かひっかかりがあるような場合がないとも限らない。そんなこ

とがあったらいつでも来て下さい。自分の行為については十分責任を負います」

 刑事は名刺をもらって事務所を出た。

 糸島とおなじ船で、引き揚げて来た人物が見つかったというのは、刑事の捜査にとって

非常に好都合であった。かれは風間の名刺を持って、翌日その人を訪ねていった。しか

し、その人は糸島のことも鮎子のことも、あまりよく憶えていなかったので、刑事はその

人から紹介状をもらって、更に別の引き揚げ者を探していった。こうしてそれから数日

間、つぎからつぎへと、Y丸で引き揚げて来た人物を訪ねてまわったが、その結果、刑事

の知り得た事実は、だいたいつぎのとおりであった。

 糸島といっしょに引き揚げて来た女は、小野千代子という女であった。その女は満州か

ら単身華北へ入り、Y丸が出るすこしまえに、天津へ辿たどりついたので、誰も彼女の素

性を知っている者はなかった。船に乗りこむまえから糸島はしじゅうその女といっしょ

で、何かと面倒を見てやっていた。かれがあまり親切なので、知らない者は、はじめから

一緒だと思っていたくらいであった。内地へ上陸するときももちろん一緒で、どうやらつ

れ立って東上したらしい。──と、そこまではわかっていたが、さて、それから後の二人の

消息を、知っている者はひとりもなかった。刑事もこれには失望したが、更にかれを失望

させたのは、その人たちがいまかりに、小野千代子にあったとしても、果たして彼女を、

認めることが出来るかどうかという疑問であった。と、いうのは、千代子は髪を切って男

装していたのみならず、顔なども泥どろや煤すすをぬって、わざと穢きたなくしていたか

ら、誰も彼女のほんとの器量を識っているものはなかった。ただ、年齢は二十五、六であ

ろうということであった。

「しかし、そのことは大して必要でもないじゃないか。かりにその女の顔を、憶えている

ものがあるとしても、屍骸はあのとおり、相好の見分けもつかぬ程くさっているのだか

ら、証人になってもらうわけにもいくまいよ」

「ええ、それはそうですけれどねえ」

 署長の言葉に、刑事は煮え切らぬ返事をしたが、

「時に、糸島とお繁の消息について、その後どこからも情報はありませんか」

「それがないから弱っているんだ。G町の交番の前を通っていったあと、全然あしどりが

わかっていない。畜生、よっぽどうまくかくれていやアがるんだね。まさか風間という男

が、変な義俠心を出して、かくまっているんじゃないだろうね」

「まさか……あの男にそんなことを、しなければならぬ義理はありませんからね」

 こうして行き悩みのまま数日過ぎた。そして、そこへあの恐ろしい暴露の二十六日が来

たのである。暴露のきっかけは、こういうふうにやって来た。

 

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