金田一耕助は思い出す。かれはここへ来るまえに、パトロンの久保銀造(「本陣殺人事
件」参照)のところへ立ち寄ったが、そのとき銀造はつぎのようなことをいったのであ
る。
「耕さん、あんたが獄門島へ行くのは、ただ戦友の死を伝えるためだけかな。それならば
よいが。……もし、そのほかにあんたがなにか目的を持っているのなら、なにか心に、い
だいていることがあるのなら、わしはあんたを、引き止めたいと思うよ。獄門島って耕さ
ん、あそこはいやな島だよ。恐ろしい島だよ。耕さん、あんたはあそこへなにしにいくの
かね」
金田一耕助を理解することもっとも深い銀造はそういって、気遣わしそうに、探るよう
にかれの顔色をうかがっていた。……
「夏草やつわものどもが夢の跡──じゃな」
「え、なに、なにかおっしゃいましたか」
和尚の声にふと瞑めい想そうをやぶられた耕助は、あわててそう尋ねた。和尚は窓によ
りかかって、碧くないだ海路はるかに眼をやりながら、
「なに、あの音よ」
「あの音……?」
耕助がききかえしたとき、はるか遠くで、また、ドカーンと爆発するような音が空にひ
びきわたった。
「ああ、あれ、……機雷を爆破しているんですね」
「遠くのやつは機雷、ちかくのやつは、ほら、向こうに見えるあの島の、軍事施設をこわ
しているのじゃ。まったくつわものどもが夢の跡じゃな。芭ば蕉しようのおきなに見せた
いて」
変なところで芭蕉がとび出したので、耕助があきれたように和尚の横顔を見ていると、
和尚もこちらへ向きなおった。
「このへんはまだええほうで、ここから西へ行くと、呉くれがちかいだけに、島という島
は穴ぼこだらけで、まるで、蜂はちの巣すじゃそうな。どこかの島では毒ガスを秘密につ
くっていたそうなが、いまになってその毒ガスの始末に手を焼いているちゅう話じゃ。わ
しらの島にも、防空監視所たら、高射砲陣地たらいうもんができてな、兵隊が五十人ほど
入りこんで来よったが、そいつらが山をほじくりまわして穴ぼこだらけにしおった。それ
はまあええとして、戦争がすむと後始末もしおらんで、さっさと引きあげていきおった
で、どだいしまつにおえん。国破れて、山河ありというが、これじゃ国破れて山河形容を
改むるじゃな。──ほら、あれが獄門島じゃ」
金田一耕助は、そのとき白竜丸の窓から見た、獄門島の光景を、ずっと後にいたるまで
忘れることができなかった。瀬戸内海は半分晴れて半分曇っていた。そこから西へかけて
は、秋空高く澄んで、西にし陽びにかがやきわたっているのに、獄門島の上空から東へか
けては、鉛の粉をなすったように、陰いん鬱うつな雲がおもっくるしく垂れさがってい
た。獄門島はそういう空を背景に、海上から屹きつ然ぜんとそびえ立ち、おりからの西陽
をうけてかっと輝きわたっていたのである。いったいこのへんの島々は、瀬戸内海が陥没
するまえは、山のてっぺんだったらしい。だからどの島も平地というものがいたって少な
く、海岸線からいきなり、崖がけがそびえ立つようなところは珍しくなかったが、獄門島
はことにそれが極端であった。全体として、それほど高い山はなかったけれど、島そのも
のがいきなり海から躍り出したように、数十丈じようの断だん崖がいが島をめぐってつら
なっているのである。そしてその崖のうえから、赤松におおわれた丘が摺すり鉢ばちを伏
せたように盛りあがっており、その丘の中腹に点々として白壁の家が見える。それらの白
壁の家は、いまにも襲いかかってきそうな暗あん澹たんたる空のもとで、しかも西陽に
かっと照り映えている。金田一耕助はなぜかその光景が島全体の運命を暗示しているよう
に思われて、冷たい戦せん慄りつが背筋をつらぬいて走るのを禁じえなかったのである。