今日は十月五日、前にも述べたようなことがあってから、三日目のことである。
本鬼頭ではいよいよ、千万太戦病死の公報が入ったので、本葬を行なうことになり、今
夜がお通夜だった。こういうとりしきりのいっさいは、千光寺の和尚と、村長の荒木真喜
平と、医者の村瀬幸庵さんの三人が、相談のうえできめるのである。耕助はいまにして、
かれの携えてきた千万太の紹介状のあて名が、なぜこの三人になっていたかわかるのであ
る。この三人こそは、獄門島の三長老であり、本鬼頭にとっては三奉ぶ行ぎようであっ
た。嘉右衛門隠居亡き後は、本鬼頭の大事は、すべてこの三人の合議によって決せられ
る。
石段をおりて、つづら折れを半分ほどくだったところで、耕助は、ばったりと、下から
あがってきた男に会った。
「あ、お寺のお客さん、和尚さんは?」
四十五、六の小づくりの男であった。小づくりではあるが、筋金の入っていそうな体を
した男で、木も綿めんの紋もん付つきを着ていたが、袴はかまははいていなかった。どこ
かで見たような男だと思ったが、とっさのことで耕助には思い出されなかった。風ふう体
ていからおして、鬼頭家からの迎えのものだと思ったので、
「お迎えですか。御苦労さま。和尚さんはいまお支度の最中です。すぐ見えるでしょう」
「そして、あなたは?」
「あちらのほうの鬼頭さんへ」
「分鬼頭へ?」
男はちょっと驚いたように眉まゆをひそめて、
「なにか御用で──?」
「和尚さんに頼まれて、今夜のお通夜のことを知らせにいくんです」
「和尚さんに頼まれて──?」
男はけげんそうに、いよいよ眉をひそめたが、すぐ思いなおしたように、
「それは御苦労さまで。では、またのちほど」
男はくるりと踵きびすをかえすと、すたすたと坂をのぼっていった。そのうしろ姿を見
送って、耕助ははじめて相手を思い出した。島へ来る途中、連絡船のなかで出会った男、
床屋の親方の話によると、この辺きっての潮つくりといわれる竹蔵だった。
ああ、あの男か。あの男なら、もっとあいさつのしようがあったのに。──あまり姿がか
わっていたので、すっかり見違えたのである。
つづら折れをおりきると、耕助は道を左へとった。かれはちょっと、心の騒ぐのをおぼ
えるのである。島へ来てから約二週間、本鬼頭のほうへちょくちょく出入りをしている
が、分鬼頭へ足を踏み入れるのは、今日がはじめてである。
島の駐在所の清水さんは、昨日こんなことをいって注意してくれた。
こういう島へ入ったら、漁師相手の話にもよくよく気をつけなければならない。どこの
漁村も同じことで、網元が二軒あれば二派、三軒あれば三派とわかれて、たがいに鎬しの
ぎをけずるものだが、この島では、網元同士とくに仲が悪いから、二派にわかれた漁師た
ちの、いがみあいもまた格別である。どっちをひいきにしても、どんなとばっちりをくら
うか、知れたものじゃない。だから、私なんざ、当たらず触らず、中立を保っているんで
す。それから清水さんはまたこんなことをいった。本鬼頭の千万さんが死んだので、村長
も幸庵さんも、青息吐息である。これで一さんの身に、もしものことがあってごらんなさ
い。天下は分鬼頭のものになる。そうなっちゃあのふたり、とてもただではすみません。
なにしろ、あのふたりときたら、嘉右衛門さんの息がかかりすぎている。現に儀兵衛さん
は、村長追い出しの下工作として、助役を手なずけているようである。また、県から学校
出の医者をひっぱってくるという話もある。なにしろ都会があのとおりだし、引き揚げや
復員で、よい医者がごろごろあまっていますからな。そこで和尚はどうなのかと耕助が尋
ねると、和尚は大丈夫と、清水さんが語調を強めてこたえるには、和尚さんは大丈夫です
よ。和尚さんは網元以上です。網元が何軒あろうが、どんなにいがみあっていようが、島
の信仰を牛ぎゆう耳じっている和尚は網元のうえに君臨している。村長や幸庵さんの首が
つながっているのも、和尚の信用を博しているからである。和尚は島ではオールマイ
ティーである。しかし他のものは、今後儀兵衛さんやお志保さんの鼻息をうかがわなけれ
ば、うまくやっていけないだろう。