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臈ろうたき人(4)
日期:2023-11-28 13:36  点击:310

 その分鬼頭へ赴く耕助は、ちょっと敵地へ足を踏み入れる感じである。敵地──? い

や、そんなことのあるべき道理はない。自分はどっちの鬼頭家にも、かくべつ因縁がある

わけではない。だが、そのとたん耕助はまた、千万太の臨終の声を思い出し、すると、忽

こつ然ぜんとして、潮しお騒さいのような、遠雷のような、峰の松風のような、おどろお

どろの物音を、耳底深くきくのである。

「はあ、あの、旦那さんはおやすみですが、あなたさまはどちらさまで──?」

「ぼくは千光寺にごやっかいになっている、金田一というものですが、和尚さんにことづ

けを頼まれて来たんです」

「あ、そう、少々お待ちなさいまし。奥さまにそう申し上げますから」

 どうも少々変である。耕助ははじめて獄門島へ着いた日のことを思い出した。本鬼頭の

玄関で、早苗に三つ指つかれたときも、耕助は少なからず面食らった。しかし、あのとき

は、面食らったとはいうものの、早苗の人柄からして、それはけっして不自然ではなかっ

た。ところがいまの少女である。どう見ても三つ指つく柄ではなかった。舌たらずの標準

語も、いかにもしゃべりにくそうで気の毒だった。お志保さんを奥さんというのも滑稽に

ひびいた。おかみさんでけっこうじゃないか。

「あら、いらっしゃいまし」

 不意をつかれて耕助はどきりとした。この女は猫のように、足音もなく歩くすべを心得

ているにちがいない。耕助が瞳ひとみを転じてふりかえったときには、女はすでに衝つい

立たての向こうに、一種のポーズをつくって婉えん然ぜんとして立っていた。

 お志保さんは美しい。まったく臈ろうたきばかりの美しさである。顔が美しいのみなら

ず、姿の美しいことも無類である。体の線に、なんともいえぬなよなよとした、やわらか

なふくらみがある。耕助が思うのに、この女はあきらかに南国系ではない。秋田とか越後

とか、とにかく北国系の美人が、京の水でみがきにみがかれたというタイプである。はじ

めて千光寺で会ったときも、耕助は驚きの眼をみはったものだが、いまこうして、ほの暗

い古風な玄関の衝立の向こうに、婉然として立っているところを見ると、いまさらのよう

に、妖あやしい胸騒ぎを感じずにはいられなかった。

 お志保さんは、銀杏いちよう返がえしとも、鬘かつら下した地じともつかぬ、耕助など

にはわからぬ髪の結い方をしていた。そしてまた着物や帯なども、これまた耕助などには

わからない、凝ったものであるらしかった。そういう姿で、衝立の向こうに立っていると

ころは、とんと終戦後はやる、きものの本の口絵写真のように見えたことである。

「いらっしゃいまし」

 お志保さんはもう一度いった。それから衝立のかげからすらりと出ると、ちょっと頭に

手をやって、くずれるように、しかしたくみに体の線をたもちながら、ふんわりとそこへ

座った。それからもう一度、

「いらっしゃいまし」

 といって、瞳でわらいながら、

「和尚さんのことづけですって?」

 と、小首を美しくかしげた。お志保さんは少し酔っているらしかった。

 耕助はあわててつばをのんだ。それから、例のくせで、いくらかどもりながら、早口で

和尚の口上をつたえた。どもったことで、耕助はいよいよあわてた。そこでがりがりとも

じゃもじゃ頭をかきまわした。戦争も、かれのくせを、矯きよう正せいすることはできな

かったとみえるのである。

「まあ」

 と、お志保さんは美しい眼を鈴のように張った。それからにっこりわらうと、

「そのことなら、昨日ちゃんと、本家から通知がありましたわ。でも、なにしろこちら、

主人が寝ているものですから、──手がはなせないんですよ、気むずかしくって──」

 それだのにお志保さんは酔っている。

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