「お、和尚さん、ど、ど、どうかしましたか」
了然さんの息遣いがあまりはげしかったので、耕助も驚いて思わずどもった。
「ああ、うむ、いや、しかし、そ、そんな……そんな馬鹿なことが……」
「和尚さん、ど、どうしたんです。あそこにだれか、煙草を吸う人があるんですか」
「ああ、ふむ、わしは一度、早苗という娘が煙草を巻いているのを見たことがある。そういえばそんなふうな、ごちゃごちゃと字を書いてある紙じゃった。そのときわしが、だれが吸うのかと尋ねたら、……」
「だれが吸うのかと尋ねたら……?」
「早苗のいうのに、伯お父じさまが……」
耕助は思わずあっと息をのんだ。懐紙を持った手がはげしくふるえた。
「お、和尚さん、早苗さんの伯父さんというのは、あの座敷牢にいるという……」「そうじゃ、気ちがいじゃ。そのときわしはこう言うたのを覚えている。早苗や、気ちがいさんに煙草をあてがうのはよいが、マッチを渡してはならんぞとな。すると早苗が、はいそれはよう気をつけておりますと……」
と、そのとたん、すさまじい音を立てて、天井裏を鼠ねずみが走ったので、和尚も耕助も了沢も、われにもなく、ぎょっとばかりとびあがった。風はますます吹きつのって、横なぐりに降る土ど砂しや降ぶりの中に、花子の体がずぶぬれになって、ゆっさゆっさとゆれている。地面に垂れさがった黒髪のさきから、滝のように雨が流れている。了沢はふるえながら、
「南無……」
と、歯の根をガチガチ鳴らした。
「和尚さん、和尚さん、するとあなたは、今夜ここへ来たのは、座敷牢にいる、本家の御主人だとおっしゃるのですか」
「ば、馬鹿な! わしはなにもそんなことはいやあせん。あんたが煙草のことをきくものだから……」
耕助はそういう和尚の顔をきっと見ながら、
「和尚さん、しかしあなたはさっき、妙なことをおっしゃいましたね」
「わしが……? いつ……?」
「さっき、……花子さんの死体を見つけたとき……」
「花子の死体を見つけたとき、あのとき、……? あのとき、わしがなにかいったかな」
「はい、おっしゃいました。はっきりはわかりませんでしたが、たしか、気ちがいじゃが仕方がない……と、そんなふうにききとれましたよ」
「気ちがいじゃが仕方がない……? わしがそんなことをいったかな」
「ええ、たしかにおっしゃいましたよ、私は変に思ったんです。気ちがいとは、本家の御主人のことだろうが、あの人がどうしたというんだろうと思ったんです。和尚さん、あなたはなにかこんどの事件に、本家の御主人が関係しているとでも……」
「気ちがいじゃが仕方がない。わしがそんなこと言うたかな。気ちがいじゃが仕方がない……気ちがいじゃが仕方がない……」
不意に和尚は、くゎっと大きく眼をひらいた。耕助の顔をまともから、にらみすえるように、はげしくにらんだ。大きな肩が波打って、くちびるのはしがものすさまじく痙けい攣れんした。と、思うとつぎの瞬間、和尚は大きな両手をひらいて、ひしとばかり顔をおおうと、二、三歩うしろへよろめくようにあとずさりした。
「和尚さん!」
耕助も思わずいきをはずませる。