耕助ははからずも、自分たちの行動が、正確に、時間の目盛りにのっていることを発見して、大いに満足だった。
さて、この時間表によって子細に点検していくと、だいたい、つぎのようなことがわかるのである。
すなわち耕助が寺を出た六時二十五分から、一同が本鬼頭へついた六時四十五分までの間は、いつもだれかが千光寺から本鬼頭へいたるまでの道を、歩いていたことになるのである。もっとも、そのうちただひとつギャップはある。和尚や了沢や竹蔵の、寺を出た時刻が正確にわかっていない。ひょっとすると、それは、耕助か分鬼頭への道へそれてから後だったかもしれない。と、すればそのあいだだけ、つづら折れのふもとから、寺までの道は、だれも歩いていないことになる。
だが、それだってかまわない。耕助が分鬼頭のほうへ曲がると同時に、花子がつづら折れをのぼりはじめたとしても(そんなことは事実なかったが)寺へつくまでは、女の足で少なくとも十分はかかる。そのあいだには和尚の一行が寺を出ていなければならぬはずだ。それでなければ、分鬼頭から引きかえしてきた耕助と、つづら折れのふもとで出会うことができないからである。さて、和尚がその十分のあいだに寺を出たとすれば、当然、途中で花子に出会っているはずだが、それが出会っていないところをみると花子がつづら折れをのぼっていったのは、その時刻でないことがわかる。
それならば、花子はいつ寺へのぼっていったのか。花子が家を出たのを、きっちり六時十五分として、耕助が寺を出た六時二十五分までには、十分という間がある。その間に花子が寺へやってきたとしても(それは女の足でも、急げば全然不可能なことではないが)それならば、その時分、まだ寺にいただれかが、気がついていなければならぬはずである。
耕助のいる書院は、寺の奥のほうになっているのでだめだけれど、和尚の居間になっている方丈からだと、山門はまる見えだし、それにまた、つづら折れもふもとのほうなら見渡すことができるのである。現にあのとき、方丈の障子はあけっぱなしになっていたから、花子が山門を入ってきたとしたら、和尚か了沢か、どちらかが気がつかなければならぬはずである。
そういうことから考えると、六時十五分ごろ家を出た花子は、まっすぐにこの千光寺へやってきたのではなかったのだろう。一度どこかへ立ち寄って、みんなが出払ったところを見はからって、寺へのぼってきたのだろう。
だが、そうするとここに問題になるのは、
一、花子は途中どこへ寄ったのか。
二、いや、それよりも花子はなんのために、寺へのぼってきたのか。 ところが、あとのほうの疑問は、それからすぐに解けたのである。
花子の死し骸がいを調べていた幸庵さんは、まだほかにどこか傷はあるまいかと、着物の前をはだけていたが、すると花子のふところの奥ふかくから、ぽろり出てきたものがある。
それは一通の手紙であった。しかもふところの奥ふかく抱いていたので、あの土砂降りにもかかわらず、大してぬれてもいなかった。
「手紙ですな」
うしろからのぞきこんでいた村長さんが、思わずいきをはずませた。
「どれどれ」
と、和尚が手にとって、
「なんじゃ、いやになまめかしい封筒じゃな」
と、電気の光ですかしていたが、
「金田一さん、わしの眼にはおぼつかない。あんたひとつ読んでみておくれ」
耕助が手にとってみると、それは女学生などが使う模様入りの小型の封筒で、表には、月代さまへ、裏には、御存じより。