「なんじゃ、月代さま──? するとそれは姉の月代へあてた手紙かな」
「変ですね。月代さんへあてた手紙を、どうして花子さんが持っていたのでしょう」
「ああ、ふむ、ともかく中を読んでおくれ。御存じよりというのはたいがいだれだかわかっている。いやらしい、おおかた分鬼頭のおかみの入れ知恵だろうが、あの女のいいそうなことじゃて」
さて、中の文句というのはこうであった。
今宵七時、千光寺境内にて相待ち候、寺は無人となるはずにつき、こころおきなくつもる話を。
月代さま
御存じより
読んでいくうちに、耕助は身うちがむずがゆくなるような、不快とも滑こつ稽けいとも説明しにくい感じに打たれた。まるでそれは、江戸時代の人情本にでもありそうな書きぶりではないか。
「鵜飼君ですね」
「そうじゃて、しかし、その文句はお志保が入れ知恵して書かせたにちがいない。あの女よりほかに、そんないやらしい文句を書くやつはありゃせん」
「だれか、鵜飼君の筆跡を知っている人がありますか」
だれも知っている者はなかった。
「いや、だれも知ってる者はのうても、鵜飼のやつが書いたにちがいない。花子はその手紙につられて、寺へあがって来おったのじゃ」「しかし、和尚さん、これは月代さんにあてた手紙ですよ」
「そんなことは問題じゃありゃせん。月代にあてた手紙を、なにかのはずみで、花子が手に入れ横どりしおったのじゃ。そして姉にわたすかわりに、自分でこっそりやってきたのじゃ。そうそう、幸庵さん、あんたは宵にあの色男が寺へのぼってくるのを見たといったな。それは何時ごろのことじゃったな」
「さあ。何時ごろて、和尚さん、わしゃいちいち時計を見やあせんがな。本家へいく途中、曲がりかどのところでこっちを見ると、あいつがつづら折れのほうへ曲がる姿が、ちらっと見えた」
幸庵さんが本鬼頭へやってきたのは、耕助たちより少しおそかったから、六時五十分ごろのことだったろう。してみると、鵜飼章三は、耕助が分鬼頭を出てから間もなく、あとを追うて出てきたにちがいない。
「すると和尚さん、あいつが花ちゃんをおびき出して、そして、……そして、……ここで殺したのでござりますか」 それは潮つくりの竹蔵だった。
「鵜飼が……? 花ちゃんを……?」
幸庵さんがつぶやくようにいった。そして、改めて、了然さんや村長の荒木さんと顔見合わせた。鵜飼が花子をおびき出したということについては、だれひとり、疑いをさしはさむ者はなかったが、さて、かれが花子を殺したのか、──というだんになると、だれも即答できかねるという風ふ情ぜいなのである。
耕助はまだ鵜飼という男をよく知らない。しかし、たった一度会った印象だけれど、あの男は要するに、一種のマネキンであって、こういう荒っぽい殺人に、自ら手を下すとは考えられぬ。もっとも、人は見かけによらぬということばもあるが。……
「和尚さん、鵜飼君は煙草を吸いますか」
「煙草──?」 和尚は驚いたように顔をしかめて、
「さあ、わしはあの男が煙草を吸うているのを見たことがないな。しかし金田一さん、煙草がどうかしたのかな」
「いえね、さっきのあの吸い殻、あれ、鵜飼君が吸い捨てたのじゃないかと思って。……鵜飼君なら、月代さんか雪枝さんか花子さんかだれかから、ああいう煙草をもらう場合がありうると思いますが」
「いいや、あいつは煙草を吸いません」
横からことばをはさんだのは竹蔵だった。
「いつかわたしが煙草をやろうといったら、自分は吸わないからと断わったのを覚えております。しかし、和尚さん」
と、ひざを乗り出した竹蔵は、じれったそうに握りこぶしで畳をたたいて、「だれが花ちゃんを殺したにしろ、なんだってあんなところへぶらさげていったんでござります。しかも、あろうことかあるまいことか逆さまに、……和尚さん、花ちゃんを殺したやつは、なんだってまあ、あんなむごいことをしたのでござります」
ああそのことだった。いま、金田一耕助が頭をなやましているのもその問題だった。あれは犯人の単なるこけおどしであったのだろうか。小説家が、目先をかえるために、強しいて悪どい場面を考え出すようにこの事件の犯人も、ただその場の気まぐれからああいう無残な情景を、肉と血でえがき出していったのだろうか。
いや、いや、いや。
金田一耕助は、そうは思わぬ。あそこにああして逆さまに、花子の体をつるしていったということに、なにかしら、深い意味があるのではあるまいか。気ちがいである。まったく気ちがいの沙さ汰たである。しかし、この獄門島全体が、どこか狂ったところがあるのだから、ああいう常軌を逸したやりくちにも、犯人にとっては、それは相当の深い理由とたくらみがあるのではなかろうか。
竹蔵のことばは、にわかに悪夢を呼びおこした。しいんと凍りついたように黙りこんだ一同のあいだを、冷たい戦せん慄りつがちりちりと走りわたった。
そのときである。庫く裏りのほうから、けたたましい叫び声がきこえたのは。──
「和尚さん。和尚さん」
それは了沢であった。
「和尚さん、和尚さん、泥棒が盗んでいったものが、わかりました。和尚さん、泥棒が盗んでいったのは──」
けたたましく呼ばわりながら、本堂へ駆け込んできた了沢君が、手柄顔に出してみせたのは、なんと、空っぽになった飯めし櫃びつだった。
「和尚さん、この中にはまだ、半分ばかり御飯が残っていたのでござります。それがいま見ると、これこのとおり空っぽになって……」
泥棒はお櫃の御飯を盗んでいったのである。