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第三章 発句屛風(2)
日期:2023-11-30 16:07  点击:242

 まず、右上のやつだが、これは上五と下五が、ともに平仮名になっているらしい。──

と、そこまではわかっても、その平仮名が問題なのである。耕助はしばらく、上五と下五

を交互ににらんでいたが、俳人特有のひねった文字は、さながら、五月雨さみだれの泥を

のたくるみみずの跡のごとく、尾お頭かしら定かならずで、いっこうちんぷんかんぷんで

ある。耕助はあきらめて、こんどは作者の名前へ眼をやった。すると、妙なことには、そ

の名前とおぼしいやつがふたつある。これは妙だと思ってよくよく見ると、ひとつのほう

の名前の下には、写すという字が書いてあった。これで、はじめてわかった。その色紙

は、作者みずからが書いたものではなくて、なにがし宗匠の句を、別のなにがしが書いた

ものにちがいない。ところで、よく見ると、この別のなにがしなる人物の名は、他の二枚

の色紙にも見え、どれにも下に写すという字が見える。すなわち、この三枚の色紙は、全

部同じ人物によって書かれたものらしい。そこで耕助は、三枚の色紙のなかから、できる

だけわかりやすい書体のやつを探し出して、やっとそれを極ごく門もんと判読した。

「なあるほど」

 と、そこで耕助は満足らしく鼻を鳴らした。極門という雅号は、いうまでもなく獄門島

をもじったものにちがいない。してみると、この色紙を書いたやつは、獄門島の住人にち

がいない。と、そこまではわかったが、それだけではなんにもならない。そこで耕助は、

いよいよほんとうの作者の名前を判読にかかる。この名前は平仮名三字になっていて、よ

く見ると、右の色紙二枚に、同じような字がある。してみると、宗匠頭巾に十徳という二

つの肖像は、やっぱり同じ人間にちがいない。ところでその男の名前だが……と、苦心惨

さん澹たんのあげく、やっと耕助が判読したのは「おきな」という三文字。

「なあんだ、芭ば蕉しようか」

 地下の芭蕉翁にはお気の毒ながら、そのときの耕助の口調には、はなはだ不ふ遜そんな

るものがあった。といって、耕助かならずしも、一部俳人たちが神とあがめる芭蕉のおき

なを、軽けい蔑べつしたわけではなかったろう。苦心惨澹のあげく判読した名前が、あま

りポピュラーな名前だったから、気抜けしたのかもしれぬ。

 さて、それが芭蕉の句だとすると、また、判読のしようがある。耕助はあらためて上五

と下五の平仮名のなかから、「お」という字、「き」という字、「な」という字はあるま

いかと、蚤のみ取とりまなこで捜索したあげく、やっとその句を、つぎのごとく判読する

ことができた。

  むざんやな冑かぶとの下のきりぎりす

 耕助はこれでやっと、肩の荷がおりたような気がした。こうして一枚のほうがわかる

と、あとの一枚は案外すらすらと判読できた。

  一つ家に遊女も寝たり萩はぎと月

 ともに「奥の細道」に出てくる句だから、耕助も中学校の読本で習ったことがある。

 こうして右の二枚は首尾よく判読できたが、さて、あとの一枚である。このほうは、肖

像から見ても、芭蕉でないらしいことがわかる。芭蕉はこんなに行儀が悪くない。作者の

名前を見ても、おきなでもなく、芭蕉でもなく、はせをでもないらしい。しかし、こうし

て右に芭蕉の句がはってあるからには、左のその句も、芭蕉に匹敵するような、昔の大家

にちがいない。まさかそんじょそこらの月つき並なみ宗匠の句を、もったいなくも流祖お

きなと相照応するようなことはあるまい。そう思って、あれやこれやと、記憶にある昔の

宗匠の名をあてはめているうちに、耕助はやっとそれを其き角かくと判読した。

「なあんだ。其角か。ばかにまた、むずかしい字を書いたもんだな」

 耕助は不平らしく鼻を鳴らした。それに其角という人物は、師し走わすの橋のうえで大

おお高たか源げん吾ごと禅問答みたいなことをやらかして、あとで大恥かいたというエピ

ソードで知っているくらいのもので、句そのものはあまりよく知らないから、それから判

読してかかるのは、ちと自信のない仕事であった。

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