行业分类
第三章 発句屛風(3)
日期:2023-11-30 16:09  点击:267

「ええ──と、あのときの発ほつ句くはなんてたっけな。そうそう、年の瀬や水の流れと人

の身は──か、それとはちがうな」

 そこで耕助は、記憶のひきだしをさんざんひっかきまわしたあげく、やっと、其角の句

とおぼしいやつを二、三ひっぱり出してみた。

「名月や畳のうへに松の影。涼しさはまづむさし野の流れ星。──どれもちがうな。角つの

文も字じや伊い勢せの芒すすきの──あれはどういう句だっけ、伊勢の芒の──ええと──い

や、どっちにしてもこの句じゃない。いったいこれはなんと読むんだろう」

 耕助がやっと読めるのは、「の」という字と「を」という字と、「に」という字だけ、

それにさんざん頭をしぼったあげく、やっとおしまいの二字が「可か那な」であるらしい

ことに気がついた。すなわちその句は、

  〇の〇を〇に〇〇可那

 となるらしいのだが、〇のところの漢字らしいのが、どう考えても、わからない。

「〇」ので行をかえてあるところをみると、これで上五になるらしく、すると「〇」一字

だけで四音になる漢字──橘たちばなの──ちがうなこの字にはヘンがない。──

 と、そんなことを考えているところへ、

「金田一さん、金田一さん」

 と、典てん座ぞの寮のほうで呼ぶ声がきこえたので屛風に対する耕助の執心は、いっぺ

んに雲散霧消した。

「金田一さん、金田一さん、まだおやすみですか」

 そういう声は駐在所の清水さんであった。耕助はそれをきくと、あわてて寝床から飛び

起きた。どういうわけか耕助は、そのとき、清水さんのひげ面に対して、なつかしさがむ

らむらとこみあげてくると同時に、はたとばかりに現実の世界へ呼びもどされた。其角な

どくそくらえであった。

「ちょ、ちょ、ちょっと待ってください。いますぐ行きます」

 気がつくと、朝のお勤めはまだつづいているが、もう終わりにちかいらしく、ゆるやか

な磬けい子すの音が、ゴアアアアンと、冷たい空気をふるわせてくる。耕助は大急ぎで着

物を着換え、夜具を押し入れへ突っ込むと、雨戸をひらいてはじめて深い霧に気がつい

て、驚いた拍子に三べんくしゃみをした。

 素足ではもうひえびえとするような台所へ出てくると、清水さんがひげ面から、しろい

歯を出してにっと笑いかけたが、どういうわけか、あわててもみ消すと、エヘンとせきを

して、もったいらしく渋面をつくった。

「どうもすみません。すっかり朝寝坊しちゃって」

「いやなに、お疲れでしょう。なにしろ昨夜はたいへんでしたな」

 そういう清水さんも睡眠不足らしく、しょぼしょぼした眼をおちくぼませている。

「ええ、あいにくの雨で……あなた、いまお帰りですか」

「ええ、いまさっき。こっちもたいへんでしたが、私のほうもたいへんでした。まるで、

活動写真のようでしたよ」

「なにが?」

「なに、海賊船を追跡したんですよ。ポンポン、ピストルを撃ちあいましてね。このへん

まできこえやしませんでしたかい」

「いいえ。じゃ、この近所でやったんですか」

「ええ、あの真ま鍋なべ島のへんでね。なにしろすごうござんしたよ。向こうは七、八人

いたらしいが、必死ですからね、窮きゆう鼠そ猫を食はむというやつで、てんでんにポン

ポン、ピストルをぶっ放してくる。こっちもおとなしく、手をつかねているわけにはまい

りません。双方はげしく撃ちあうというわけで、屋や島しま壇だんの浦うら以上の大合戦

でした」

 清水さんは大げさなことをいう。耕助は思わず吹き出して、

「そりゃたいへんでしたな。そして、海賊はつかまりましたか」

「それが、まんまと取り逃がしましたよ。あいにく、向こうの放った弾丸が、こっちの機

関に命中しましてね、故障を起こしてえんこしてしまったんです。そのためにやっこさん

たち、あと白しら波なみと逃げちまったというわけです。十五トンぐらいの船でしたが、

ひどくスピードの出るやつで」

「それはおあいにくさまでしたね。こっちというのはあなたお一人でしたか」

「いやなに、本署の船だからおおぜい乗っていましたよ。水島の倉庫を破って、繊維品や

雑貨類を盗み出したやつがあるというので、それっと網を張っているところへひっかかっ

たんです。そうそう、ところで、あんたを知ってるという人に会いましたよ」

「私を知っている人?」

 耕助は驚いてきき直した。話の接つぎ穂ほからすると、まるで海賊に親類があるように

きこえた。清水さんはまた渋面をつくると、疑わしげな眼で耕助の顔を見守りながら、の

どの奥で痰たんを切り、にわかにことばを改めた。

小语种学习网  |  本站导航  |  英语学习  |  网页版
09/24 01:16
首页 刷新 顶部