清水さんは探るように耕助の顔を見ながら、
「金田一さん、あんた逃げいでも大丈夫かな」
と、心配そうに尋ねた。
「いや、逃げるのはよしましょう。逃げたところで、テンモーカイカイですからな。あっ
はっはっは」
耕助はうれしそうに笑った。清水さんはふうんと疑わしそうに鼻を鳴らして、
「実はな、金田一さん、今朝潮つくりの竹蔵から、昨夜の話をきいたとき、私はすぐにあ
んたをひっくくろうかと思った。昨夜磯川警部からきいたこともありますからな。あんた
はたしかに警察の飯を食うたことのある人物ですな。それも警部の口ぶりからすると、よ
ほどの大物にちがいない。……」
耕助はおかしさをかみ殺した。
「なるほど、なるほど、ごもっともで。しかし、まだ私をひっくくろうとなさらないとこ
ろをみると、思い直されたとみえますね」
「それですて。私もいろいろ考えてみたが、たったひとつだけ、腑ふに落ちんことがあり
ましてな。私の考えとあんたの立場はあべこべになっている。これが反対になっていた
ら、私は容赦なくあんたをひっくくるのだが」
「はて、反対というと?」
耕助は驚いて清水さんの顔を見直した。いったい、この好人物のお巡りさんの頭に、な
にがえがかれているのだろう。
清水さんは困ったように、しわしわと眼をまばたきながら、
「あんたは、鬼頭の本家の千万さんの戦友でしたな。そして、千万さんの意をうけて、こ
こへ来られたのでしたな」
「そ、そうですよ」
「それが私には困るのですて。その反対に、あんたがもしも、分家の一さんの戦友で、一
さんの頼みでここへ来られたんだったら、私の考えとぴったり合うから、すぐにもひっく
くってしまうのだが」
耕助はまた驚いて、清水さんの顔を見直した。穴のあくほど凝視した。
「清水さん、それはいったいどういうわけです。分家の一さんの戦友なら、なぜ縛っても
よいのですか」
「金田一さん、おわかりにならんかな。本家の千万さんは死んでしもうた。これはもう公
報が入っているからまちがいない。さて千万さんが死んだからには、鬼頭のものはいっさ
い一さんのものになるかというと、おっとどっこい、そうはいかん、そこにはまだ、月
代、雪枝、花子という三人の娘がいる。これを片っぱしから順々に殺してしまわんことに
は──」
金田一耕助は、突然、背筋をつらぬいて走る冷たいものを感じた。かれはしばらく、か
みつきそうな眼で、清水さんのひげ面をにらんでいた。それから押し殺したようなしゃが
れ声でいった。
「わかりました。それではあなたのおっしゃるのはこうですね。私がもし、一さんの戦友
で、一さんの意をうけてここへ来たものだとすれば、一さんから派遣された、一種の刺客
としての疑いをうける可能性があるわけなんですね」
「そうです、そうです。私の考えたのはそれですて。しかしあんたは──」
「いや、ちょっと待ってください。しかしあなたのその考えにはちと納得のいきかねると
ころがありますよ。まず、第一に、ビルマにいる一君には、ニューギニアにいる千万太君
の生死は絶対にわかりっこないということ。第二に、刺客をよこすとは、つまり共犯者を
つくるなんてことは、とても危険なことですよ。それよりも自分がかえってきて、自分の
手でこっそりやったほうが、よっぽど安全だと思いませんか」
「いや、私はそう考えません。むしろこれはいちばん安全なやりかたですよ。なぜって一
さんがかえってきて、それから、鬼頭の娘たちが順ぐりに殺されてごろうじろ。すぐ一さ
んに疑いがかかる。しかし、いまなら、一さんはまだビルマにいるんだから、だれも絶対
に疑やあせん。それにあんたも──あんたがかりに一さんの刺客として、じゃな──あんた
も、鬼頭家にはなんのゆかりもない人だから、これまただれも疑うものはない。──」
「しかし、しかし、さっきもいったように、ビルマにいる一さんには、千万太君が死んだ
ということは絶対にわかりようはない。──」
「だから、一さんはヤマをかけるんじゃ。千万さんの出征したことは一さんもよく知って
いる。こんな大きな戦争だから、千万さん、どこかで戦死しているかもしれんと考える。
そこで一足さきにかえる戦友に万事を託す。もし千万さんが生きていればそれでよし、も
し死んでいるようならば、自分がかえるまえに、生き残った三人の娘を殺してくれと。──
いやいや、ひょっとすると、千万さんが生きてかえっていたら、それを一番に殺してくれ
と託したかもしれん──」
この恐ろしいことばが、好人物の清水さんの口から出るだけに、耕助のうける物すさま
じい印象はいっそう深刻だった。耕助は歯をくいしばり、息をのんで、しばらく茫ぼう然
ぜんとあらぬかたを凝視していたが、やがて瞳ひとみを清水さんのほうへもどすと、
「しかし、清水さん、あなたのその考えはまちがっていたのですね。私は一さんの友だち
ではなくて、千万太君の戦友なんだから、そのことはあなたも認めてくださるでしょう」
清水さんはほうっとため息をついて肩をゆすった。