そう考えてくると、それから後の和尚の挙動にも、いちいち疑えるところがある。その
ことがあってから間もなく、和尚は耕助や了沢君をうながして、庫裏の勝手口へみちびい
た。あの庫裏をまがるともう禅堂は見えなくなるが、あれは禅堂のなかにかくれていた人
物に、逃げ出す機会をあたえるためではなかったろうか。さらに──と、耕助の胸はますま
す大きく騒ぐのである。さらに、そのあと、耕助が露地の足跡を調べておいて庫裏からな
かへ入っていくと、和尚はそのときたった一人で本堂にいたのだが、ひょっとするとあの
とき和尚は、ひとあしさきに禅堂へ行って、犯人の逃げ出した入り口のとびらに、なかか
らかんぬきをおろしておいたのではあるまいか。そうしておいて、そこに異状がないこと
を示すために、わざとあとからさりげなく耕助や了沢君を禅堂へみちびいたのではあるま
いか。
そうだ、和尚は知っているのだ。犯人を知っているのだ。花子の死体を見つけたとき
の、あの気ちがい云々うんぬんということばといい、このことといい、和尚はたしかに犯
人を知っているのだ。いや、知っているのみならず、わざと犯人を逃がしてやったのだ。
──
とつおいつそんなことを考えながら、耕助はたんねんに寺の前庭を調べてまわったが、
予期したとおりそこには、足跡らしい足跡はひとつも残っていなかった。元来が花か崗こ
う岩がん質しつの山をきりひらいてつくった千光寺の境けい内だいは、日照りがつづくと
砥と石いしのようにからんからんになるかわりに、ゆうべのような豪雨があると、いっぺ
んに土砂が流れてしまうのであった。耕助はとくにたんねんに、禅堂の付近を調べてみた
が、そこにも足跡らしいものは発見されなかった。もっとも、本堂にも禅堂にも、泥靴の
跡はなかったのだから、犯人がうえへあがったときには靴をぬいでいたことと思われる。
だから、禅堂からとび出したときも、そいつははだしのままだったにちがいない。はだし
の爪先歩きでは、たとい昨夜の豪雨がなかったとしても、足跡が残ったかどうか疑問で
あった。ただ、ひとところ、昨夜たばこの吸い殻を見つけた、本堂のまえの賽さい銭せん
箱のかたわらには、五つ六つ、乾いた泥靴の跡が残っていた。そして、それらの靴跡のう
ち、右のほうにはみんな蝙蝠形の傷がついていた。
「ね、清水さん、犯人はしばらくここでやすんでいたんですよ。ほら、ここだと山門から
一直線でしょう。石段は見えないが石段の下の道は見えますね、だからこの階段に腰をお
ろしていると、下からあがってくる姿がすぐ眼に入る。犯人はここで下のほうを見張りな
がら、煙草を吸っていたんですね」
「煙草──? 煙草を吸っていたなんてことがどうしてわかりますか」
「それはここに吸い殻が落ちていたからです。そうそう、そのことをあなたはまだ御存じ
なかったのでしたね」
「吸い殻が落ちていた──? そしてその吸い殻はどうしたのですか」
「それは拾い集めてとってあります。和尚の了然さんが見つけたんです」
「金田一さん」
清水さんは、すっくとばかりに胸をはって威厳をつくろった。心外にたえぬこの心持ち
を、いかに表現すべきか、手段に苦しむというふうに、つとめて渋面をつくってみせる
と、
「あんたがたはこのわしを、いったいなんと心得とるんですか。かりそめにもこのわし
は、島の治安をあずかる警官ですぞ。そのわしをさしおいて勝手に死体をおろしたり、吸
い殻を拾い集めたり、それはいったいどういうことです。事件のあった場合、ことにこん
な殺人事件の場合、現場をそのままにしておくということが、いかに大事なことか、それ
くらいのことがわからんあんたじゃないはずじゃ。それともあんたは、故意にわしの捜査
の妨害を試みようというのかな」
「まあまあ、清水さん」
「なにがまあまあじゃ。さあ、その吸い殻を出しなさい。いや、出すばかりじゃいかん。
ちゃんと元あったところへおいてもらいましょう」
「そ、そ、そんな無理な。──」
「なにが無理じゃ。吸い殻がどこにどういうふうに落ちていたか、──そこにどのような重
大な意味があったかもしれん。それができんとあらば、あんたは証拠湮いん滅めつの罪で
逮捕されてもしかたがありませんぞ」
「ど、ど、どうしたんです。清水さん。なぜそんなに急に、邪険なことをいい出したんで
す。なにもあなた、そんながんこなことをおっしゃらなくたって。──あなたとぼくの仲
じゃありませんか」
「なにがあなたとぼくの仲ですか。あんたとわしとどういう仲じゃというんですか。失敬
なことをいわんといてください。あんたは素性も知れぬ風ふう来らい坊ぼう、わしはれっ
きとしたこの島の警官ですぞ」
清水さんはここを先せん途どと威い丈たけ高だかになってみせた。耕助はすっかり当惑
したかたちで、
「そ、そ、それはそうですが。──ああ、いらっしゃい。ちょうどよいところでした。これ
からお宅へお伺いしようとしたところですよ。いえなに、ぼくじゃありません。清水さん
がそういってたところなんです。ねえ清水さん、そうでしたね」