そのとき、山門から入ってきたのは、分鬼頭のお志保さんであった。お志保さんのうし
ろには美少年の鵜飼章三もついていた。このとき二人でやってきたのは、耕助にとっては
このうえもない助け舟であった。耕助はなぜまたああも突然、清水さんの態度がかわった
のか合点がいかなかったが、二人のおかげで、さしあたり清水さんの鋭えい鋒ほうをさけ
ることができると思ったので、つとめてお志保さんにむかって愛あい嬌きようをふりまい
た。そのことが、いっそう清水さんの疑惑をあおるとも気がつかずに。──
「なにを二人で言い争っていらっしゃいましたの」
お志保さんは今朝はとくべつに、念入りにお化粧をしてきたのにちがいない。露のなか
をちかづいてくるお志保さんの顔は、夕顔のようにほの白く美しかった。それにその歩き
かただ。一歩一歩虚空をふむように歩をはこぶ彼女の姿態には、洗練されつくした技巧が
あって、全身から色気がにおいこぼれるようであった。
「いえなに、べ、別に争ってたわけじゃないんです」
耕助は例によってどもりそうになったので、あわててもじゃもじゃ頭をかきまわした。
頭をかきまわすと、どもるのが改まるとみえる。
「あら、そう。そんならよござんすけれど──清水さん」
お志保は耕助に悩ましい一いち瞥べつをくれておいて、さて改めて清水さんのほうへ向
き直ると、
「あたし、変なことを耳にしたものだから、わざわざこうして出向いてきたんですよ」
「変なことって、な、なんですか」
清水さんもこの女と面と向かうと、耕助を相手にするのとは、だいぶ勝手がちがうらし
い。いくらかへどもどした調子でそういうと、あわててごくりと生つばをのみこんだ。
「変なことって変なことですわ。あたしそのことについてみなさんに、ようくきいていた
だこうと思って、それで鵜飼さんをつれてきたんですよ。金田一さん、和尚さんは?」
「和尚ならここにいるぞ」
方ほう丈じようのほうから了然さんが、のっしのっしと本堂の縁側へ出てきた。
「お志保さん、おいで。儀兵衛どんはどうじゃな。少しは痛つう風ふうもよいほうかな。
これよ、了沢、みなさんにお座ざ布ぶ団とんをあげんかい。そちらの、なんとかゆうた
な。そうそう鵜飼さん、あんたもここへ来てお掛け。なにもそんなに怖がることはありゃ
せんがな。おまえのようなきれいな息むす子こを、かわいがりこそすれ、だれもとって食
おうたあいやアせんぞな。はっはっは、ときにお志保さんや」
さすがのお志保さんも、とっさにことばが出なかった。どっかとあぐらをかいた了然さ
んの顔を、あきれたようにまじまじと見つめている。了然さんはすかさずことばをつい
で、
「いま向こうできいていれば、おまええらい権幕のようじゃな。皆さんにようくきいてい
ただきたいことがあって──か。はっはっは。ようくきこうじゃないか。おまえ。なにかこ
の和尚にいうことがあるのかな。いうことがあるならなんでもおっしゃれ。それよ、向こ
うに花子もきいているで」
和尚はふとい指で本堂の奥を指さした。
鵜飼章三はそれをきくと、ふっと眉まゆ根ねをくもらせて、こっそりお志保さんの陰に
かくれた。お志保さんもちょっと鼻白んだ気味であったが、すぐ顔じゅうに血の色をはし
らせた。色が白いから紅潮するといっそう目立つのである。一瞬、火がついたように瞼ま
ぶたを染めて、双そう眸ぼうがあやしく光った。しかし、お志保さんはすぐそのことを後
悔したらしい。ここでむやみに興奮することは、とりも直さず負けである。お志保さんは
だれに向かっても、冑かぶとをぬぐことを好まない。