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忘れられた復員便り(6)
日期:2023-11-30 16:45  点击:275

「ところで、幸庵さんはその男の顔を……」

「いや、それは見えなかったそうです。なにしろ昨夜は真っ暗でしたからな。ただ、もみ

あったときの感じでは、洋服を着た男で、相当肉づきのよい体をしていた……と、それく

らいしかわからなかったそうです」

「その男は、それから、どの方角へ逃げたんですか」

「いや、それも幸庵さんにはわかっていない。なにしろ、谷へ投げ落とされただけならま

だしものこと、腕を折られた痛さで、半分気が遠くなっていたんだから、そこまで見とど

ける余裕のなかったのも無理ありませんな」

「ところで、その曲者だがね、ひょっとするとそのとき、死体を背負っていたんじゃある

まいか」

 そうことばをはさんだのは磯川警部である。

「いや、それはわたくしも考えました。しかし、幸庵さんの話じゃ、たしかにそんなもの

はかついでいなかった。ただ……」

「ただ……?」

「むしゃぶりついたときの手ざわりでは、なにかしら、ふろしき包みみたいなものを、小

わきにかかえていたようだというんです」

「ふろしき包み……?」

 耕助は不審そうに眉まゆをひそめた。

「ええ、幸庵さんはそういうんです。……さて、そんなことがわかったもんだから、わた

しどもはともかく一応本鬼頭へひきあげることになりました。本鬼頭へかえってみると、

和尚の了然さんと早苗さんが、心配そうに玄関へ出ていました。ふたりとも、さっきの騒

ぎをききつけたんですね。そこで幸庵さんの体を一同にまかせておいて、わたしと竹蔵は

また外へとび出したんです」

「ちょっと待ってください。そのとき分鬼頭の三人は……?」

「ああ、あの連中も本鬼頭へついてきましたよ。そればかりではなく、珍しく朝までつき

あったんです。なにしろずぶぬれになっていたし、それに雪枝さんのことも気になったん

でしょう。それとも、ほかに曰くがあったのかもしれませんが、とにかく一同とともに、

本鬼頭で夜明かしをしたんです」

「ほほう」

 と、耕助は眼をまるくしたが、にわかにうれしさがこみあげてきたもののように、がり

がりばりばり、むやみやたらともじゃもじゃ頭をかきまわすと、

「そ、そ、そうすると、昨夜、本鬼頭には、関係者一同が、全部そろっていたというわけ

ですな。本鬼頭の一家のほかに、了然さんに了沢君。村長の荒木さんに医者の幸庵さん、

竹蔵君に清水さん、それに分鬼頭の三人まで、すっかり顔をそろえていたというわけです

ね。そして、朝までみんな、そこにいたんですか」

「そうです。みんなそこにいたんです。もっとも、さっきもいったように、わたしと竹蔵

とは、幸庵さんをあずけると、すぐまたとび出して、幸庵さんのいう曲者というのを探し

にいきましたが、じきにあきらめてかえりました。なにしろ真っ暗だし、雨はいよいよ強

くなるし、とてもだめだと思ったんです」

「それからあなたは、朝までずうっと本鬼頭にいたんですね」

「いました」

「それで、どうでしょう。だれか、そのあいだに、席をはずしたものはありませんか。い

や、席ぐらいははずしたでしょうが、本鬼頭を出ていったようなことは……」

「それは絶対にありません。みんな奥の十畳に集まっていたんですが、そのあいだに、そ

りゃア、御ご不ふ浄じようへ立ったりしたものはありますが、外へ出ていったなんて、そ

んなことはありません。女連にしたところで、夜食を出したり、茶を入れたりするので、

座敷を出たり入ったりしていましたが、外へ出ていったなんてことはありません」

「しかし……どうでしょう、あなたと竹蔵君が、曲者を探しに出た留守中は……そのとき

もみんな本鬼頭にいたんでしょうか」

「いたと思います。だれか出かけたとすれば、わたしにわからぬはずはない。それに、わ

たしたちは、すぐあきらめてひきかえしてきたので、そのあいだはごく短時間でしたから

ね」

「では、ついでに、もうひとつ念を押しておきますが、最初、あなたがたが手分けして、

雪枝さんの捜索に出かけるときですがね、そのとき本鬼頭には和尚の了然さんと早苗さ

ん、勝野さんと月代さん、と、この四人が残っていたはずですが、そのうちのだれかが、

外へ出ていったということはありませんか」

「それも、大丈夫、ありません。そのことについてはわたしも一応、念をおしてたしかめ

ておいたんですが、だれひとり、外へ出たものはないということは、はっきりわかってい

るんです」

「いや、ありがとうございました」

 そこで耕助は、にっこり笑って磯川警部のほうをふりかえった。

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