行业分类
忠臣蔵十二段返し(1)
日期:2023-12-01 14:43  点击:283

  忠臣蔵十二段返し

「嘉右衛門さんのことをききたいといわれるのかな」

 ひとたらしの玉露の香を、口中にふくみながら、伊いん部べ焼やきの湯飲み茶ぢや碗わ

んをおいて、儀兵衛さんはゆったりと耕助を見る。

 小鼻の両わきからくちびるの端へかけてのしわのふかい、大きなうけ口の顔は、いかに

も因いん業ごうそうな印象をひとにあたえるし、本鬼頭がわのひとびとからは、げじげじ

のようにいみきらわれている儀兵衛さんだが、めんとむかって話してみると、さすがにこ

のひとも、一方の旗頭だと思わざるをえなかった。

 分鬼頭の奥座敷。あけはなった障子のそとには、谷をへだてて本鬼頭のおおきな瓦かわ

ら屋根が見える。さわやかな朝風が対座した儀兵衛さんと耕助をめぐってながれる。

 耕助はゆうべ一睡もしていない。一晩じゅう輾てん転てん反側しながら、発ほつ句く屛

びよう風ぶから発見した、あのおどろくべき暗示を基礎として、もう一度頭のなかで、こ

の事件の最初の一ページから読みなおしてみた。すると、いままで読み落としていた、い

くつかの行間の文字が鮮明な活字となって、あらわれてくるのに気がついて、耕助はいま

さらのように、大きなおどろきと恐れを感じずにはいられなかった。

 夜が明けたとき、耕助の頰ほおはげっそりと肉が落ちていた。瞳ひとみが病的な熱っぽ

さで、ギラギラと光っていた。

「金田一さん、あなたどこか悪いのじゃないか。熱でもあるのじゃありませんか」

 朝御飯の知らせに茶の間へ行くと、さきに来ていた磯川警部が、びっくりしてそう声を

かけたくらいである。警部が来てから耕助も、本鬼頭の屋敷のうちに寝泊まりしているの

だ。

 耕助はしかし、それにこたえなかった。まずい朝飯をながしこむようにのみくだすと、

ものといたげな警部の視線をさけるようにして、本鬼頭をとび出した。そしてやってきた

のが分鬼頭であった。

「儀兵衛さんにぜひともお伺いしたいことがありまして……」

 取り次ぎに出たお志保さんも、耕助の顔色に気がついた。はぐらかすようないつもの微

笑をあわててひっこめると、すなおにその旨を取りついだ。そしていまこうして耕助は、

儀兵衛さんとむかいあっているのである。

「嘉右衛門さんというひとはえらい人でしたな。島のもんはあのひとを、太閤さんとよん

でいたが、たしかにそういうところのある人でした」

 儀兵衛さんの声にはふかいひびきがある。一句一句、語尾に力をいれて話す口のききか

たにも、派手ではないが、手がたいこのひとの性格がうかがえるようで、そういうところ

にもこの人が、権ごん現げん様にたとえられる原因があるのだろう。

「あんたもこの島へ来るまでには、いろいろ島のうわさをきかれたことだろう。そして来

てみて案外ほかとちがったところのないのにおどろかれたことと思う。しかし、いまから

二、三十年まえ、わたしどもの若いころはひどかったな。それこそ獄門島という名にふさ

わしい、そして、海賊と流る人にんの子孫だといわれてもしかたのないような手のつけよ

うのない、風儀の悪い島でしたな。それがここまでになったというのは、みんな嘉右衛門

さんのおかげなのじゃ。嘉右衛門さんはべつに学問のある人じゃない。また、社会教育家

でもないから島の風儀をよくしようと格別骨を折ったわけでもない。ただ、あの人は島を

富ませてくれましたのじゃ。島の住民の生活を豊かにしてくれましたのじゃ。貧乏こそは

あらゆる罪悪の根元、貧しいと恥をわすれて、どんな風儀の悪いことでもやる。それが嘉

右衛門さんのおかげで、だんだんくらしが豊かになってくると、人間おのずからつつしみ

が出てくる。せんにはとても及びもつかぬとあきらめていた、ほかの島々より、かえって

こっちのほうが豊かになると、風儀のうえでもほかの島にまけまいと、おのずとはげみが

出てくるものじゃ。こうして嘉右衛門さんは、しだいに島の気風をかえていったのです

な、と、いって嘉右衛門さんは、けっして島のもんのために働いたというのではない。島

を富ませようとはじめから考えていたわけじゃない。いわば自分の欲で、自分が金持ちに

なりたいから、骨身をけずって働いたまでのことじゃが、こういう島では網元が豊かにな

れば、手についている漁師もしぜんよくなるわけじゃ。また、一軒の網元がよくなれば、

ほかの網元も負けん気になって相手のやりかたをまねるからこれまたしぜんよくなる道

理。嘉右衛門さんという人は眼さきのきく人で、またいったんこうと思い立ったら、どん

なことがあってもやりとおすという人じゃった。それがこのまえの大戦の好景気にのっ

て、どんどん手をひろげていったから、とうとうこのへんきっての網元になりおわせた。

わたしなどは、嘉右衛門さんのおこぼれをひろって、まあここまで来たようなものじゃ。

どうじゃな、これですこしは嘉右衛門さんのことがわかったかな」

 儀兵衛さんは蒼あおくすんだ眼で耕助をみる。たかぶりもせぬ代わり、へりくだりもせ

ぬ、いたって虚心坦たん懐かいな瞳の色だった。

小语种学习网  |  本站导航  |  英语学习  |  网页版
09/23 17:20
首页 刷新 顶部