耕助はのどにからまる痰たんを切った。
「いや、恐ろしいことです。およそ人間ばなれのした感情です。しかし、島の住人という
やつは、だれもかれも常人とちがった感情でうごいているのですし、嘉右衛門さんとして
は、本鬼頭の将来に対する心配も手伝っていたのでしょう。月雪花の三人娘、そのうちの
だれがあとを継いでも、本鬼頭の家はつぶれてしまう。……嘉右衛門さんはそれを心配し
たのでしょう。かてて加えて、三人娘の母なるひとに対する、昔の憎悪も手伝っていたの
でしょう。だから千万太君が死ねば一さんにあとを継がせる。千万太君も一さんも死ね
ば、早苗さんにあとを継がせる。どっちにしても三人娘は死ななければならなかったので
す」
「いいや、それはちがう」
突然、ふとい、錆さびのある声がさえぎった。了然さんである。了然さんは相変わら
ず、半眼に閉じたままの顔で淡々と、
「ああ、いや、話の腰を折って悪いが、そこのところはちがっている。嘉右衛門さんには
女の子は眼中になかった。月代であろうが、雪枝であろうが、花子であろうが、そしてま
た早苗であろうが、嘉右衛門さんには五十歩百歩としかうつらなかったのじゃ。だから、
千万さんも一さんも死んだ場合にはしかたがない。月代に養子をとって本鬼頭を継がせる
つもりじゃった。早苗のために三人娘を殺そうとまでは、考えていなかったのじゃな」
耕助の顔に、不意にふかい驚きの色がひろがっていた。その驚きのなかには、なにかし
ら悲痛なものさえまじっていた。
「和尚さん」
と、すこし呼吸をはずませて、
「それじゃ、千万太君が死んで、一さんが生きている場合にだけ、こんどのような事件が
起こったのですね。もしふたりとも死んでいたら、三人娘は殺されずにすんだのですね」
和尚は無言のままうなずいた。耕助と磯川警部は顔を見合わせている。二人の視線のあ
いだには和尚の知らないなんともいいようのない、いたましい悲哀がみなぎっている。
「運命じゃな。なにもかも運命じゃな」
了然さんはなにも知らずに、相変わらず薄眼を閉じたままつぶやいた。
「わしは吊り鐘をもらいにいった。吊り鐘は鋳いつぶされもせずに残っていよった。その
かえるさに舟のなかで竹蔵から、一さんの生きていることをきいた。すぐそのあとじゃっ
たな、金田一さん、あんたが千万さんの死を知らせてくれたのは、……なにもかも運命
じゃな。千万さんの死と一さんの生還、そして吊り鐘……わしは嘉右衛門さんの執念が、
生きてわしらを見まもっているのをまざまざと感じた。三つのうちのどれひとつ欠けてい
ても、三人娘は殺されずにすみよったのじゃが、そろいすぎたよ、条件が……千万さんの
死、一さんの生還、そして吊り鐘……」
耕助と磯川警部はまた顔を見合わせた。救いようのない暗いため息が、期せずしてふた
りのくちびるをついて出た。
和尚は相変わらず淡々として、
「金田一さん。わしは出家じゃ。坊主じゃ。しかし、あんたも知ってなさるだろうと思う
が、わしはそれほど迷信ぶかいほうでもかつぐほうでもない。しかし、三つの条件がピタ
リとそろうたときには、やっぱりゾッとする気持ちじゃった。なにかしら眼に見えぬ大き
な力が、われわれをうごかしているのを感じたのじゃ。それに嘉右衛門隠居にはいろいろ
な義理もある。それになんじゃ」
と、和尚はすごい微笑をうかべ、
「あの三人の娘というのが、そもそも、殺して惜しいような人間でもなかったのでな。
あっはっは。ああ、いや、しかし、話の腰を折って悪かった。金田一さんや、さあ、あと
をつづけておくれ」
了然さんは超人である。いや、この年齢になって、あらゆる物欲から解脱したところ
へ、大きな仕事をしおおせた安心感から、こせこせした悪あがきをしない、あまりに大き
な人格ができあがっているのかもしれない。
「警部さん、和尚さんもきいてください」
耕助は沈痛な声で話をはじめた。
「ぼくはいま生意気なことをいいました。この事件の背後に、嘉右衛門さんの影が、大き
くぶらさがっていることを、早くから気がついていたようなことをいったかもしれませ
ん。しかし、それはうそなのです。ぼくがそれに気がついたのは、万事が終わったあとで
した。しかも、それに気がつくように、みちしるべをつけておいてくれたのは、ほかなら
ぬ和尚さんなんです。和尚さんはぼくの素性を知っていた。そしてフェヤ・プレーの精神
からぼくの鼻先に、事件のなぞをとく鍵かぎ、すなわちあの発ほつ句く屛びよう風ぶを出
しておいてくれたのです。それだけに万事が終わってしまうまで、ぼくにその鍵がとけな
かったのは、もちろん自分の不明のせいもあるが、もうひとつには和尚さん、あなたのペ
テンにひっかかったせいもあるのです」
了然さんの眉がはじめてピクリとうごいた。けげんそうに耕助の顔を見直した。耕助は
いそいでことばをつぐと、
「いや、和尚さんはけっして、ぼくをペテンにかけるつもりはなかったのだが、ぼくはそ
れをすっかり誤解してしまったのです。そしてそのことが最後の土壇場まで、ぼくを袋小
路のなかへひきずりこんでいたのです。だがそのことをお話しするまえに、最初の花ちゃ
ん殺しから、順を追って話してみましょう。警部さんはまだ詳しいことを御存じないのだ
から」
耕助は茶碗の底に残った、赤茶けた茶を口にうつした。黒い茶カスが舌のうえにホロ苦
かった。了然さんは気がついたように、方丈から鉄てつ瓶びんと急きゆう須すを持ってく
る。