さて、この写真全体からうける印象を、もっと大ざっぱにいうならば、なかなかの、貴
族的な、なかなかの好男子なのだが、このひとこそ誰あろう、あの恐ろしい事件のなか
で、もっとも重要な役割をしめている元子し爵しやく、椿つばき英ひで輔すけ氏なのであ
る。椿英輔はこの写真を撮影してから半年のちに、あの運命的な失しつ踪そうをしたので
あった。
さて、この写真のほかにもうひとつ、私が強く心をひかれるレコードというのは、終戦
後Gレコード会社から発表された、十吋インチ盤のフルートのソロで、題して、
「悪魔が来りて笛を吹く」
作曲ならびにフルートの演奏者というのが、いまいった椿英輔氏なのである。しかもこ
れは英輔氏が失踪する一か月ほどまえに作曲を完成、レコードに吹きこんだものであっ
た。
私はこの稿を起こすまえに、なんどこのレコードをかけてみたかわからない。そしてな
んど聞いても私はそのつど、凄せい然ぜんたる鬼気にうたれずにはいられなかった。それ
は必ずしも、これからお話ししようとする物語からくる連想のせいばかりではなく、この
フルートのメロディーのなかには、たしかに一種異様なところがあった。それは音階のヒ
ズミともいうべきもので、どこか調子の狂ったところがあった。そしてそのことが、この
呪のろいと憎しみの気にみちみちたメロディーを、いっそうもの狂わしく恐ろしいものに
しているのである。
私はこと音楽に関しては全然門外漢なのだけれど、この曲はどこかドプラーのフルート
曲「ハンガリアン田園幻想曲」に似たところがあるように思われてならぬ。しかし、ドプ
ラーの曲にはまだしも陽気な一面もあるのだけれど、椿英輔氏の「悪魔が来りて笛を吹
く」は、徹頭徹尾、冷酷悲痛そのものである。ことにクレッシェンド(次第に強く)の部
分のもの狂わしさにいたっては、さながら、闇やみの夜空をかけめぐる、死霊の怨うらみ
と呪いにみちみちた雄お叫たけびをきくが思いで、いかに音痴の私でも、竦しよう然ぜん
として、肌に粟あわ立つのをおぼえずにはいられない。「悪魔が来りて笛を吹く」──
この題はおそらく木下杢もく太た郎ろうの名詩「玻は璃り問屋」の一節、「盲目が来り
て笛を吹く」から転用したものだろう。しかし、この曲には杢太郎の詩にある情緒さんち
まんなど微み塵じんもなく、それは文字どおり悪魔の笛の雄叫びである。ドスぐろい血の
にじみ出るような、呪じゆ咀そと憎悪のメロディーなのだ。
私のような門外漢がきいてさえ、それほど強く、鬼気をかんずるくらいだから、いわん
やこの事件の関係者たちが、英輔氏の失踪後において、突如としてこの曲の吹奏されるの
をきいたとき、どのような大きなショックとおそれを感じたことだろうか。……察するに
あまりありというものである。
「悪魔が来りて笛を吹く」──いまにして思えば、いくらか調子の狂ったこの曲のなかにこ
そ、これからお話ししようとする、あの恐ろしい事件の謎なぞをとくキイが秘められてい
たのだ。
思えばこの事件の起こった昭和二十二年という年は、新聞の社会面がたいへん賑にぎや
かな年だった。われわれは少なくとも三つの、天下の耳目を聳しよう動どうさせた、大事
件の記憶を持っている。そして、そのうちの二つの事件が、あい関連しているらしいこと
は、当時すでに世間のひとも気がついていたことだが、不思議なことには、もうひとつの
まったく別な事件と思われていたあの大事件が、やっぱりあとのふたつの事件に、微妙な
つながりを持っていたのである。