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第二章 椿子爵の遺言(5)
日期:2023-12-05 15:50  点击:239

 美禰子はハンドバッグから、一通の封筒をとりだして、耕助のほうへ押しやった。手に

とってみると、表には美禰子へ、裏には椿英輔と、いくらか女性的なきれいな字で書いて

あった。むろん封は切ってある。

「どこにあったんですか。これは……」

「あたしの本のあいだにはさんであったのです。そんなこととは知らなかったものですか

ら、この春、机のまわりを整理したとき、いらない本や、読んでしまった本などを、みん

なお蔵の書庫のなかへしまったんです。それをこの夏、虫干ししようとすると、本のあい

だからそれが落ちてきたのです」

「拝見してもいいですか」

「どうぞ」

 遺書はつぎのようなものであった。

 美禰子よ。

 父を責めないでくれ。父はこれ以上の屈辱、不名誉に耐えていくことは出来ないのだ。由

緒ある椿の家名も、これが暴露されると、泥沼のなかへ落ちてしまう。ああ、悪魔が来り

て笛を吹く。父はとてもその日まで生きていることは出来ない。

 美禰子よ、父を許せ。

 署名はなかった。

「お父さんの筆ひつ蹟せきにちがいないのでしょうね」

「ちがいございません」

「しかし、この屈辱だの、不名誉だのというのはどういう意味ですか。爵位を失うという

ことだったら、なにもお宅にかぎったことではなく、あなたがた階級全部の問題ですか

ら、何も家名にさわるというような……」

「いいえ、そうではございません」

 美禰子はまるで何かをかみ切るような調子で、

「その問題も父を悩ましていたことはたしかですけれど、そこにいっているのはそれでは

ないのです」

「と、すると……」

「父は……父は……」

 美禰子の額にはギラギラと気味悪い汗がにじみ出してくる。彼女はまるで何かにとりつ

かれたように、熱い息をふきながら、

「この春、天銀堂事件の犯人の容疑で、警察からきびしい取り調べをうけたことがあるん

です」

 金田一耕助はギョッとして両手で机のはじをつかんだ。文字どおり鉄てつ鎚ついで、頭

をぶん殴られたような感じだった。耕助は喘あえぎ、咽の喉どの痰たんをきり、あわてて

何かいおうとした。

 しかし、そのまえに美禰子の唇から、鋭い、呪のろわしい言葉がほとばしり出た。

「実際、第何回目かに修正された、天銀堂事件の犯人のモンタージュ写真は、父に生きう

つしでございました。それは、不幸なことでした。しかし、……しかし……警察が父に眼

をつけたきっかけは、そのためではなかったのです。誰か父を警察へ、密告したものがあ

るのです。それは、誰だかわかりません。しかし、ただわかっていることは、そのひと

は、うちの者にちがいないということです。同じ邸内に住んでいる、椿、新宮、玉虫の三

家族のうちの、誰かにちがいないということです」

 その瞬間、耕助の眼には美み禰ね子この顔が、気味悪いウィッチのように見え、彼女を

くるむ暗い影が、黒い炎となってもえあがるかと思われた。

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